浜辺の歌
スターリンは獄中と流刑地で合計八年間をすごしたが、驚くべきことに、この時期、彼は一つの外国語もものにすることができなかった。バクーの監獄では、たしかに彼はドイツ語を勉強したが 、これが手に負えないものであることがわかって投げ出し、エスペラント語に鞍替えし、これこそ未来の言語だといって自分を慰めた。
ニーチェからスターリンへ―トロツキー人物論集 1900‐1939 (光文社古典新訳文庫)
- 作者: レフトロツキー,森田成也,志田昇
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/03
- メディア: 文庫
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
決して笑えない一節。話の次元は違うが、ぼくもドイツ語はずいぶんやったがダメで、放棄した。通常グルジア(ジョージア?)人とされるスターリンは何よりもロシア語を「第一外国語」として習得したのだろうから、勝手の違うドイツ語に手を焼いたというのはある意味なんとなくわかる。名詞・形容詞の格変化と動詞の人称変化が多いけれど、語順や時制に関して融通無碍なロシア語。そっちになれちゃうと、語順や接続法にうるさいドイツ語に手を焼くというのは、あり得る話。
というか、粗暴なスターリンは政治犯より刑事犯とうちとけるのが容易で、投獄されているあいだに語学をマスターする情熱や勤勉さ・知性は彼にはなかった、というのがこの一節の意図だろうけど。「一犯一語」と言って、官憲に拘置されるたび語学をものにしていったというのは、大杉栄の話だったっけ。
ぼくは政治学は専門ではないので、こういう箇所が面白い。
明け方に読了。まだ一月一〇日か。リンゴを食べて寝たが、あまり眠れず。ラジオの『日曜討論』を聴きながら、こういうのに的確な突っ込みを入れながら聴きとおせる感性は自分にはない、と感ずる。自分の知力では、政治学にはやはり手が届かない。