俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

革命


伊勢崎あすか幼稚舎 ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番 革命

原稿はかどらぬまま、立松和平光の雨」読む。隔靴掻痒の感じ、この島国で革命をどう扱っても、もどかしさが残る、日本語自体、政治小説にふさわしくない感じさえしてくる。もはや日本の現代小説、政治、風俗、恋愛いずれの分野にしろ、きちんと読む活力はないのか。

 

妄想老人日記 (中公文庫)

妄想老人日記 (中公文庫)

 

  『光の雨』、未読、ゆえに何も言えないが、革命と日常、暴力と法のおしくらまんじゅうとして70年安保を考えるとか、あとから来た世代だからそんな事を云う資格さえ自分らにはないのだな。三島が東大安田講堂にあらわれて全共闘と対話したのが69年5月のことだったと思うが、その記録は今でも文庫で読めるので、それなどつらつら読み返すことはたまにあり、当時まだ幼児だった自分はテレビで三島が全共闘Cこと芥正彦の子を頭の上であやしつつ一席ぶつのを見ていた記憶はあり、東京の大学というところは変なところだなあと子供心に思ったのであったが、とにかく当時のことは我々60年代生まれの世代にとってはすでに歴史に属することがらであり、歴史に通ずる捷径つまり早道は東西の小説を耽読することと歴史家が云うこともあるのだが御大によれば立松『光の雨』すら隔靴掻痒であって、ならば何を読めばよいのか。やはり視野を大きく取り直し、せっかく読めるようになった英語、まだかろうじて読めるロシア語でもって1917年あたりからやり直すのがよいような気もする。しょうもないことに75年に出たトロツキーの英文の評伝を三千円出して買うか買うまいかまだ迷っているのだ。あすが冬至だが朝の暗さは置いておいてすでに日没は少しずつ遅くなっており、あと3か月したら雪どけに心躍らせながらまたバド・パウエルやらビル・エバンズやらを聴いて安らいでいるであろう。冬。それは季節であって、けっして心の状態ではない。希望を持とう。