俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

終末のタンゴ


野坂昭如&CKBメドレー青山246深夜族の夜HD マリリン・モンロー・ノーリターン 終末のタンゴ+後説

 波に乗っているときは、万事があらえっさっさと順調だったが、もうその頃のことはだれも覚えていないだろう。いつの間にやら2015年などという信じがたい年の年末にいて、あと数週間すれば年が明けて、ロシア革命99周年などというこれまた信じがたい年がめぐってくる。大学院ではロシアの語学文学を専攻したけれど、あんまり難解なものを読みとおしてしまうほどの愚直な忍耐力というのが自分にはなくて、社会科学書と人文科学書の中間あたりの半分学問半分読み物といった書物が自分の語学力にはちょうどあっているのかもしれず、70年代に出た英語のトロツキー伝を買うか買うまいかなどとおよそどうでもよいことを迷っている冬の雨の日。いまは無効となったらしいそのおセンチなトロツキー像というのは、まだぼくらを深いところで縛りつづけているのではあって、というか唐突ではあるが物書き志望だったのだなもとをただせば自分は。60年代末~70年代の綺羅星のごとき文学的売れっ子たちは、売れてたというだけでなく、だれもかもその芯に固い実質を持っていた。戯作文体の大家が逝き、だれもみなその反戦や反骨をいうけれど、その作品のほんのわずか数冊を読んだに過ぎない自分は、句点を際限なく先送りしつつ、読点を打つのさえもどかしいとばかりに語ることをいっこうにやめようとしないその文体にこそ少なからず影響を受けているのであって、それをバフチンの言語論など応用して語る国文学論文にいまだ出会わないのは、ひょっとしてお前自分でやってみろということなのか。なんにせよ、本箱を開けて以下の本を探さねば。合掌。

 

水虫魂 (1970年)

水虫魂 (1970年)