俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Mercy, mercy, mercy

 文章をたくさん書くには、特別な性格も、特別な遺伝子も、特別な動機づけもいらない。そもそも、書きたいと思う必要すらない。デッドラインの設定されていない苦手な作業に着手しようと思う人などめったにいないのだから、書きたいという気持ちになるまで待ったりしないこと。生産的な執筆作業には、習慣という力を飼いならす作業も含まれる。そして、習慣は反復によってつくられる。

 

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

 

  以前書いたように、この本は英国の作家アンソニー・トロロープの執筆法を大いに参考にしています。そしてトロロープの家は文筆家ファミリーだったので、血筋がまったく関係ないとはちょっと思えないのではあるのですよ。あるけれど、「才能とよほどの努力が必要」と言ってしまっては身もふたもない。そこで、この本はその点を思い切り単純化して、詩人じゃないんだからインスピレーションなど待たず、執筆スケジュールを割り振り、実行するべし、と説いているわけです。

 それにしても「書きたいという気持ちになるまで待ったりしないこと」という一節にはガツンとやられます。ぼくは「何か核になるものを発見しない限り何も書けない」、と思ってきたし、公言もしてきた。新着の原書を読んで、とにもかくにも一定レベル以上のレポートが書けてしまう、というのは自分にはできない、そんな気持ちもある。それは、この本をくりかえし読んだ今でもやはり容易には譲れないと思う。

 それでもこの本が決して無視できないと思うのは、自分が論文を書けなかったのがそうしたもっともらしい理由によるのではなく、毎日きちんと机に向かう生活を、もっぱら意志の弱さのせいで、なし崩しに失ってしまったせいだというのがはっきりしているから。こうして失った時間ばかりはもう取り戻せません。

 あれから時が流れ、もうとうに大学の人間ではなくなったし、住む場所も変わりました。残ったのはほんのわずかの蔵書と、外国語の読書力。これだけをたよりに、生きるすべを模索する冬の日。

 

 

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