Ballade for Piano and Orchestra
観客はなかばしか芝居に入りこむべきではない。芝居で見せられていることを受け入れるのではなく、「認識する」ようにしなければならない。俳優は役になりきるのではなく、自分の役を告発することによって、その意識を生みだすべきである。観客は主人公に完全に一体化するのではなく、主人公の苦悩の原因と、そして打開策をつねに自由に判断できるようにすべきなのである。
ロラン・バルト -言語を愛し恐れつづけた批評家 (中公新書)
- 作者: 石川美子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2015/09/24
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (4件) を見る
ロラン・バルトがブレヒトの「異化」の観念に賛同していたことをはじめて知りました。
もともとバルトは「俳優の感情過多の演技で観客を舞台に巻きこんで感動させようとする『同化』の演劇を批判していた」。そこへベルリナー・アンサンブルによるブレヒト『肝っ玉おっ母』の上演。バルトが熱中しないはずがありません。
ブレヒト的「異化(フェアフレムドゥング)」、シクロフスキー的「オストラニェーニエ」(異化/非日常化)、そして、ナボコフによる「感情移入」の断固たる否定、そしてバルトの「作者の死」。ついでにいえばバフチン的「ポリフォニー」とか。これってみんな、微妙にズレつつ、つながっているのか。
Gabriel Fauré - Ballade for Piano and Orchestra, Op ...