赤とんぼ
letup n reduction in strength, intensity, etc; relaxation of efforts: There is no sign of let-up in the hijack crisis.
Oxford Advanced Learner’s Dictionary, 8th edition (Oxford Advanced Learner's Dictionary)
- 出版社/メーカー: Oxford University Press
- 発売日: 2013/11/25
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る
Eテレで山田耕筰のドキュメンタリー。というか、石丸幹二さんが、歌も歌えば、山田に扮して再現の小芝居をやったり、という、なんていうんだろうね、ああいうスタイル。
専門家にはあるいは食い足りない内容でしたでしょうけど、ぼくは面白く見ました。
以前ね、NHK-FMの片山杜秀さんの『クラシックの迷宮』で、「ベルリンの山田耕筰」という回があって、今では山田の曲にドイツ語の歌詞がつけられ、ドイツ・リートとしても聴かれている、といった話だと思うんですが、「この道」「からたちの花」などは、あくまで詩人・北原白秋の詩に内在する旋律とリズムに触発されて生まれた曲なのだ、という点がさ、なんともはや。
つまりさ、ずっと後になって、日本語はロックのビートに乗るか、という論争があり、その一つの回答がはっぴいえんどだった、というさ、それを思い出しましたですね。
「この道」がドイツ・リートに範をとっていたとすれば、はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールドを換骨奪胎する形で日本語のロックを生み出した、というのは事態の半面に過ぎず、要となるのは何といっても日本語との有機的結合。いずれの場合も、それっぽい歌詞が乗ってれば文句ねえだろ、という空疎なもんじゃないんでさ。日本語には日本語に内在するリズムがあって、だから、松本隆さんって、北原白秋の系譜に連なるともいえるんじゃないんですかね。
のちに桑田圭祐が出て、いとうせいこうがでて、ECDやブルーハーブが出て…というふうに、旋律とリズムにことばがどう乗るかって、日本の音楽の中心的問題だと思うな。
(追記:「赤とんぼ」は三木露風の作詞だそうで、白秋ではありません。誤解していましたので、書き加えておきます)