花の色
僕たちは名刺を交換してからウェイトレスにコーヒーを注文した。彼は本当に大学の講師だったので僕はひどく驚いた。年は三十を幾つか出たあたり、髪はすでに薄くなりはじめていたが体は日焼けして頑丈そうだった。
「大学でスペイン語を教えています。」と彼は言った。「砂漠に水を撒くような仕事です。」
さっきまで、千野先生の『外国語上達法』を探していたんですが見つからず。おっかしーなー。たしか最近ここで引用したよね。あの本は買いなおすたび若い人にあげて「読んでみ!」ということが何度もあったけど、今回は、あのあと誰にも進呈してないはずなんだ。
あの中にさ、一流の語学者ほど初歩を教える仕事をバカにしないものだ、とか、あったよね、そんな一節。あれと、何かが「対」になる、何だろう、と考えていたのね。これなんだ。村上春樹の、有名なこの一節。
ぼくはいま、教壇に立っていないし、初歩の語学を来る日も来る日も教えていたころのこと、だいぶ忘れてはいるのさ。忘れてはいるんだけど、その時受けた心の傷みたいなもの、いや俗にいう「トラウマ」ともちょっと違うな、お勉強よりはスポーツのさかんな大学で、さげすまれたりあざけられたりしながら、それでも手を抜くとたちまちしっぺ返しが来るので、それもできない、というあのしんどさが、まだ続いてるんだ、どこかで。
だからどうした、というわけでもないんだけどさ。大学という場所からはもうずいぶん遠くへだたってしまったし、その意味じゃ、もうこれ以上、どうしようもないしさ。ただ、自分、千野先生のあの一節を後生大事に信じすぎ、あれにずっと縛られていたのかもしれないな、という、ね。
今日になってさ、なんか千野先生のあれと春樹さんのコレが対をなすことに気づいてさ、昔ならこのネタで紀要に論文一本書けるな、なんて思っただろうけど、いや、今でもどこかに何か書いてもいいんだけれど、ああそうか、そういうことか、と急に腑に落ちて、というね。
老母の眼科の日。混んでひどかった。