見張り塔からずっと
帯広の冬の朝、ならび立つ雪の山々が朝日に紫色に映えているのは美しかった。帯広も寒いところだった。旭川よりも寒いようにわたしは感じた。とくに風がきつかった。陸軍始の日、部隊長が勅諭を読む間に幾人か倒れた。わたしは感覚を失った。靴は大地にくっついているのに身体は何とはなしにふーらふーらゆれた──まるで水藻のように。
敗戦後、ソ連・中央アジアのカラガンダの収容所に抑留され、ロシア語通訳をした哲学者・菅季治(かん・すえはる)は、その通訳時代の訳語の言葉尻を、帰国後、政治的に追及され、自ら命を絶ちました。この人のことが気になっているロシア語関係者、けっこう多いのでは。
その遺稿・国会での証人喚問の際の議事録などを集成した本に、応召して帯広の部隊にいたときの記述が。寒さのため、えらい人の話の途中に兵が何人か倒れる、というこの話。
どこかで似た話を読みました。今現物が出て来ませんが、西部邁『偶喩としての人生』に、やはり帯広の冬のことが書かれていたはず。真冬の小学校で、校長先生の朝礼の途中、貧しさのため靴下をはけない子供らがバタンバタンと倒れてゆく、とか、そんな一節。現物が、どこかに行って出てこないや。
冬が目の前。庭にはまだバラが咲いてますけど。
Lenny Kravitz & Eric Clapton - All Along The ...