Dark Eyes
ワグナーに心酔していたニーチェが、ビゼーの『カルメン』を聴いて、にわかにワグナー攻撃へと転じ、「快活な知性」Gaya Scienzaの守護者として生まれ変わったことは知られている。ゲルマン民族のしかつめらしさは、陰鬱なだけではなく、やましさと、うらみがましさの投影にすぎないと知ったときの、ニーチェの飛翔ぶりから、ひとは多くのことを学びうるし、実際に多くを学んできたように思う。しかしそれならば、マゾッホが書きのこした次の一節は、いったい何を意味するだろう。
われわれ東方の民は、ゲルマン民族が距たるよりもさらに遠く、ラテン民族の快活さから距てられている。ゲルマン人の生真面目さも、スラヴ人のもとではメランコリーと宿命論になりかわってしまうのだ。(『残酷な女たち』福井信雄訳)
この本は一度さかんに読んだし、もう引き払ってしまった研究室の本棚の、いちばんよく見えるところにおいてありました。記憶に間違いがなければ、西さんの本を探しているという人のもとへと、一度旅をして戻ってきたこともある。その人が探していたのは『個体化する欲望』のほうだったようですが。ポーランド語、ドイツ語、イディッシュ…の垣根を越えた「脱領域」本で、ほんと、夢中になって読んだはず。
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いま冷静に考えると、これはやはり天才のみが書き得る本で、これを読んで「自分もこうならなければ」という強迫に駆られるのは、あまりよろしくありません。
毎日、寝ても覚めても、並の日本人はいくつ外国語ができればよいか、そればかり考えていますが、ちょっとかじったり程度のものを別にして、自分にはふたつがせいぜい。三つできる人をたまに見ますが、そうそう、かつて一緒に勉強したひとで、その後フランス語を自由に読んでいる人がいるんだって。
NHK-FMで『今日は一日特撮ソング三昧』をやっていますが、今日はそれを聴かず、ひとりでルイ・アームストロングざんまい。
Louis Armstrong Ochi Chernyie (Dark eyes) - YouTube