俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

東京キケン野郎

これは、著者ゲイも力説しているところであるが、さまざまの形でわれわれのまわりに生きているワイマール文化の、ワイマール共和国の中における最も魅力的な部分は、研究所とバウハウスのような若々しい私塾であったのかもしれない。大学は、すきがあらば、旧体制の亡霊を蘇らせようと機会を窺っている俗物どもの支配するところであった。ホルクハイマー、マルクーゼ、アドルノノイマン等を輩出したフランクフルト社会研究所、フランツ・アレクサンダー、カレン・ホルネイ、特に最近目ざましい再評価の機運に恵まれているヴィルヘルム・ライヒの依拠していたベルリン精神分析研究所、それにワールブルグ研究所を加え、さらに「ドイツ政治大学」とバウハウスを数え上げると、まさにその最良の部分においてワイマール文化は研究所と私塾の文化であったといっても過言ではないように思われる。

 

 

本の神話学 (中公文庫 M 60)

本の神話学 (中公文庫 M 60)

 

 

 

本の神話学 (岩波現代文庫)

本の神話学 (岩波現代文庫)

 

 

 

ワイマール文化

ワイマール文化

 

 

 

シュニッツラーの世紀―中流階級文化の成立1815‐1914

シュニッツラーの世紀―中流階級文化の成立1815‐1914

 

 

 英語週刊誌をやっつけていると、文化史家のピーター・ゲイも91歳で死去との訃報。

 ピーター・ゲイの名を知ったのは30年くらい前、山口昌男さんの『本の神話学』の中。ただ、その時はこの難解な本を読み解くための語彙も文法も自分は持ち合わせていない、と思い知らされ、打ちのめされました。以来ことあるごとに読み返していますが、やはり今でも難しい。

 ただ、上の一節はぼくの深いところに沈潜し、ぼくを束縛し続けています。大学ではなく、私塾と研究所こそが、文化の担い手であることもありうる、という。

 上に言う研究所が、具体的にどんなところだったのか、当然、ぼく知りません。宏壮で堅牢な建物と、重厚な蔵書、それに少人数の専任スタッフがいて絶えずヴィジティング・スカラーが出入りしている、そんなところを勝手に想像するのみ。違っているかな。まして「私塾」となると、それが大学をしのぐ知的活動の場だったとは、もはや想像もつきません。それに何と言っても、そうした私塾なり研究所なりの運営資金はどこから出ていたのか。

 大学を離れた知的活動というと、真っ先に思い浮かぶのが上に引いた一節。今の日本でも、某論客が「二度と大学教師はやらない」といって自身の出版会社を主宰、といったことは、なくはないと思います。でも、ぼくのような立場では、ちょっと本格的に本を調べたいと思えば、大学に申し入れて、やっとの思いでコピーを取って来ざるを得ない、という現実。大学というものに替わる何かを、決して持ちえていない…。そこのところ、ごまかしていないだろうか。悩みは尽きません。

 


『東京キケン野郎』 ジューシーフルーツ - YouTube