俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

交響曲第4番

「ダルドロ、ずうっとまえから、ひとつきみに話したかったことがある。無意味というものの価値だ。[中略]今になってみると、わたしには無意味というものが当時とは別の明かりのもとに見えてくるんだ。ずっと強く、意味深い光のもとに。ねえ、きみ、無意味とは人生の本質なんだよ。それはいたるところで、つねにわれわれにつきまとっている。残虐行為、血腥(ちなまぐさ)い戦闘、最悪の不幸といった、だれもそれを見たくないところにさえも無意味は存在する。これほど悲劇的な状況のなかでも無意味を認め、それをその名で呼ぶには、しばしば勇気を要する。しかし大切なのは、それを認めることだけでなく、それを、つまり無意味を愛さなくてはならないということだよ。無意味を愛するすべを学ばなくてはならないということだよ。ここ、この公園のわれわれの眼前に、見てごらん、無意味はまったくあからさまに、無邪気に、素晴らしく存在しているじゃないか。そう、この素晴らしさだよ。きみもじぶんで『完璧な活気……』とか言ったが、完璧であると同時に無益なことでもある。子供たちが笑っている……なぜかも知らずに、これは素晴らしいことではないか? なあ、ダルドロ、吸いこむんだよ、われわれを取り巻いているこの無意味をたっぷり吸いこむのだよ。無意味は叡智の鍵、上機嫌さの鍵なんだから……」(ミラン・クンデラ『無意味の祝祭』、西永良成訳、河出書房新社、2015年、135~136頁)

  日曜日の早朝をつぶして読んだクンデラの新著。大部の本ではないので一日で読み終わりました。明日はもう図書館に返すので、あとあと、これ、大事かもな、と思いつつ、メモ代わりに引いておきます。メルロ=ポンティ『意味と無意味』、橋本治「マンガ 意味と無意味の大戦争」(『恋愛論』収録)、蛭子能収『私の彼は意味がない』、高橋康也『ノンセンス大全』、エドワード・リア、ダニール・ハルムスなど、チェックすべきもの多数。もっともここでクンデラが言う「無意味」は、作中のスターリンが「全世界に唯一の表象を押しつける」ことによってのみ、人間の数だけ世界の表象があるというカオスを克服できる、と主張する場面へのアンチテーゼなんでしょう。本作のスターリンによれば、カントの言う「物自体」など存在せず、「われわれの表象以外に現実的なものはなにもない」。そうした全体主義の体制下では、笑うことにさえ一定の政治的=文化的意味付けがなされるのに対し、わけもなく子供たちが笑いころげているという、その無意味さのなんと晴朗なこと。

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 日曜の朝はFMではなくNHK第一を聴いています。『音楽の泉』が、本当に素晴らしいですね。今日はブラームスの4番。田舎に生まれ育ち、クラシックは知らない、聴かない、いささか寂しいこの人生に射し込む、一条の春の光。うとうとしながら聴いていたら、本当、桃源郷をさまよっているかと思いました。

 

 

無意味の祝祭

無意味の祝祭

 

 

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

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Johannes Brahms - Symphony no.4, op.98 ...