俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

TICO TICO

 「尋常ならざることがあったら、邪魔になるよりは手がかりになるのが普通だというのはすでに言ったとおりだ。この種の問題を解くときには、後ろへ向かって理屈を進めていけることが肝心なのさ。それは大変役に立つ芸だし、実にたやすいことでもあるんだが、それを人が実地にやることはあまりないんだな。日常生活のうえでは前に向かって理屈を進めるほうが役に立つから、どうしても逆はおろそかにされるんだね。総合的に理屈を進められる人が五十人いるとしたら、分析的に理屈を進められる人はひとりというところかな」

「白状するが」とわたし。「まったく何を言ってるのかわからんね」

「そう来るだろうと思った。ひとつ、もっと砕いた言い方をしてみようじゃないか。ひとつながりになったいくつかの出来事を説明されたら、ほとんどの人は、じゃあ結果はこうこうでしょうね、と言うだろう。彼らはそれらの出来事を頭の中で組み立ててて、そこから、何かが出来する、という風に論ずるわけだ。ところが、結果のほうを先に聞かされたとして、どういう順序を踏んでそういう結果になるのかに、内心の意識から思い至ることのできる人というのは、ほとんどいないのさ。後ろ向きに、とか分析的に理屈を進めるとぼくが言うのは、この力のことを言うのさ」(コナン・ドイル『緋色の研究』、邦訳が手元にないため便宜的に拙訳)

 今から十年近く前に開催された北大でのロシアSFに関するシンポジウムの論集が、長い時を経て刊行され、ネット上で誰でも読むことができます。

SRC 研究報告書 スラブ・ユーラシア研究報告集 No.7

 ぼくもこのシンポには出席し、ひとつひとつの報告を聴いてはいたのですが、それぞれが高度に専門的な内容で、そのときはどうもほとんど理解していなかったようです。

 あれからずいぶん時が経ちましたが、このタイミングでの刊行はぼく個人にとっては大変な恩恵。ウェルズやドイルを読みながら、それらのロシアでの受容ということをつらつら考えていたこの冬の終わりに、剛速球のようにこの論集が来ました。すでにネット上に反応など出ていますが、ここでもひとこと。

 久野康彦さんの「SFという観点から見たВ・Ф・オドエフスキーのユートピア小説」は、SFと推理小説の関係について実に見事な整理をおこなっていて、大変に啓発的。 

 それによれば、イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグが『神話・寓意・兆候』という著書において、美術研究におけるモレッリの作者鑑定法、シャーロック・ホームズの捜査方法、フロイト精神分析の方法に通底する方法論を指摘しているというのです。すなわち一見つまらない表面的兆候を手がかりに、隠れた真相を論理的に究明する「推論的パラダイム」。

 久野さんによれば、推理小説は現在から過去に向かって論理的な推論をすすめ、犯罪の真相を帰納的に究明するもの。対するに「SFは現在の科学の成果を元に未来社会のあり方を演繹的に推測してゆく文学ジャンル」で、「時間軸において正反対であるものの、両方とも同じような論理的推論に支えられた文学ジャンルであると考えることができる」。

 推理小説とSFがともに十九世紀末に成立したジャンルであるのは偶然ではなく、完全にリンクしている。この指摘には本当に目を見張りました。この論文を読んだ後、この冬に考えてきた課題の何割かに、答えが与えられたという確かな実感がありました。

 で、ひと月あまり前に読んだ『緋色の研究』を出してきて、上に引いたホームズとワトソンの会話を確認せずにはいられず、やや興奮しながらこれを書いています。ただ、久野さんによれば推理小説は「帰納的」、ということになるのですが、作中でホームズ先生はこの論理の進め方を「帰納 induction」ではなく「演繹 deduction」と呼んでいるのですね。これも今気づきましたが、それはともかく。

 いずれにせよ、読みごたえのある論集です。お礼状の類は「ご放念ください」とありましたが、何か知的応答を試みずにはいられず、メモ代わりに。


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