ユー・ニード・ラヴィン
「現実」とは、いったいどういう意味であろうか? 何かきわめて浮動的な、きわめてあてに ならぬものと思われよう──あるときには埃(ほこり)っぽい路上にあり、あるときは、往来の新聞の切れはしにあり、あるときには、陽をあびる黄水仙にある、というぐあいである。部屋にいる一団の人々を浮き立たせ、誰かの何心なくもたらした言葉を深く印象づけたりする。星明りの下を、家路へ向かう者に迫って、沈黙の世界が饒舌の世界よりもはるかに真実であると感じさせるかと思えば──次にはまた、盛り場ピカディリーの喧騒を通る乗合バスの中にもひそむのである。さらに、ときとしては、その正体がはっきり見分けのつかないほど、私たちからかけ離れたいろいろの形象の中に隠れている。しかしながら、それは何に触れようとも、その触れたものを定着し、不朽のものとする。一日の外皮(かわ)を垣根に放りこんだそのあとに残っているものが、それである。過去の中から、私たちの愛憎の中から、残存するものが、それである。さて作家は、私の考えるところでは、この現実なるものに接して、他の人々よりも強く生きる機会を持つ。その現実を見つけ、それを集めて、それを私たちに伝えてくれるのが、作家の仕事なのである。『リア王』とか、『エマ』とか、『失われた時を求めて』とかを読んで、私は、少なくともそういう結論に達する。なぜというに、このような作品を読むことは、五官に、たとえば眼球の水晶体を転位させる撥窩術(はつかじゅつ)のような、不思議な手術を施されるように思われるからである。ひとは、それをすませると、一段と視力が増すのだ。(ヴァージニア・ウルフ『私だけの部屋─女性と文学─』(西川正身・安藤一郎訳、新潮文庫)
ウルフの上掲の本の原著、読み終わりました。
二度目の大学時代に受けた恩師のロシア文学講義、思い起こせばその半分くらいは女性の自立やフェミニズムに関する議論だったような気がします。だから、先日の最終講義で恩師が、ロシア文学を研究してきたことの利得として、男女平等に関する知識が深まったことをことさら強調したのは何の不思議もないこと。そして、学生時代には知らなかったですが、その延長で恩師がウルフのこの本を熱心に愛読していたというのも、ある意味当然のことなのですね。
ただ、ウルフの著書、ぼくとしては、女性の文学的自立を説く主張の基調に流れている、上に引いたような小説礼賛のトーンがいっそう興味深いですね。日常の何気ないささいなことの中から「現実」をつかみだし、提示する、それが小説というものだ、という、ね。前回のエントリーで引用しました村上春樹さんの小説執筆エピソードなんか、まんまこれとかぶって見えてしまいます。
かと思えば、先日NHKラジオを聴いていたら放送九十周年の特番に高橋源一郎さんが出てきて、ご自身の小説執筆開始のきっかけを語っておられました。なんでも、1979年あたりに中島みゆきさんの『オールナイト・ニッポン』にさだまさしさんと松山千春さんがゲストで登場、ともすればいやみな内輪のノリになるところが、友達が仲良く話しているみたいですごくよかった。そして、翌日、高橋氏は「よし、ぼくも小説を書こう」と思い立った…
これ、やはり村上春樹さんが言う、「時間」や「経験」が、しかるべききっかけを経て急速に「小説」へと結晶化してゆくプロセスなんじゃないか。確か高橋源一郎氏は以前にもどこかで同じ話をしていて、このエピソードはある種自己神話化しているのかもしれませんが、自分が小説家になったきっかけをそのようなものとして了解している、というのは何とも印象的。
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ラジオといえば、先日のピーター・バラカン氏の『ウィークエンド・サンシャイン』、すばらしかったですね。シカゴ・ブルーズの名曲を数多く書いたウィリー・ディクスンの特集。彼が書き、マディ・ウォーターズが歌った"You Need Love"をスモール・フェイセズが(さらにレッド・ツェッペリンが)パクったという件、初めて知りました。
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