へヴィメタルとしてのショスタコーヴィチふたたび
Shostakovich: Cello Concerto n.1 op.107 - Mischa ...
さるところに出していた申し入れ。期日を過ぎても通知がないし、てっきりはねられたのだと思ってたら、節分の日に「採択されました」と通知が来てびっくり。その日は恵方巻き食べて、鬼のお面かぶって落花生をまいて「鬼は外!」とかやって、いつになく節分らしい節分でした(北海道なので、節分には煎った大豆のかわりに落花生をまきます)。ささやかな研究プランですが、科研費のたぐいにはトンと縁のない人生でしたから、こういう通知って人生初です。それにしても、これはまじめにやらねば。
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CDで持っていても聴いてないものが膨大にあります。クラシックのたぐいはみんなそうですな。今度生まれたらクラシックマニアになろう、などと思って聴かないまま。でも、ラジオをつけっぱなしにしていて、クラシックの番組が流れていて、案外、これ好きになれそうかも、と思うことってわりとあるんですね。
先日の朝流れていたのはショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第一番」。以前書いたことがありますが、ショスタコーヴィチはへヴィメタルだと思えば案外わかりやすい気がします。つまり、究極の白人芸術音楽、という意味で。普段聞いているブラックミュージックのしなやかな融通無碍さの対極にあるような角ばったリズムと、それを決して外さないチェリストの正確無比な運指。一拍が伸びたり縮んだりするジャズその他の音楽の「ノリ」、「タメ」、「うねり」といったものとはまったく違う、明快なまでのメリハリ。ぼくの貧しい音楽的語彙で言うと、やっぱりジューダス・プリ―ストやアイアン・メイデンなんかに近い気がします(ファンの方、お気に触ったならご容赦を。こういう形ででもとっかかりがつかめるというのは、ぼくにとって大きな意味のあることなのです)。
CD,中古でいいから買おう、と思ってアマゾンをのぞいたら、あ、ロストロポーヴィチと小沢がやってるのは持ってるわ。たしかいつぞやどこかで買って、プロコフィエフと抱き合わせで、なんか聴いてなかったやつ。なんせステレオがぼろいんで、迫真、というほどの迫り方はしないですけど、しばらく聴きそうです。
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Looking Backward 2000-1887 (Oxford World's Classics)
- 作者: Edward Bellamy,Matthew Beaumont
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr (T)
- 発売日: 2009/09/14
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昨日は気が緩んで寝坊しましたが、今朝は3時起き。ウェルズは読み終わり、今読んでるのはエドワード・ベラミ。むかし学生のころ、ユートピア/アンチユートピア文学の講義で知って以来、いつか読みたいと思って、キンドルでゼロ円でダウンロードしてあったものです。本文校訂のしっかりしたものを読みたければ、ちゃんと値段のついたヴァージョンを買えばいいんでしょうけど、とりあえずこれでも読めます。労働問題がすべて解決され、貨幣も商業もない未来社会。いやこれは必読じゃないですか。意外に読みやすいです。