俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ラヴ・ミー

「もっともすぐれた、もっとも才能ある」詩人マヤコフスキイは、青年共産同盟機関紙「コムソモールスカヤ・プラウダ」にしばしば詩を発表していた。あるとき、誰かが編集部に電話をかけてきて、「今日の新聞にマヤコフスキイの詩が載っていないのはどうしてですか?」とたずねた。マヤコフスキイは旅行中です、 と編集部は答えた。「わかりました、それでは誰が彼の後任をつとめるのです?」。

 わたしはマヤコフスキイが好きではないが、この心理は意味深長である。どんな作者にも後任者がいなければならず、その後任者にも後任者がいなければならないというわけだ。そして後任者はみな、いついかなるときでも、いざ必要となれば、「もっともすぐれた、もっとも才能ある」人のかわりをつとめる準備をしていなければならなかった。いいか、昨日、おまえは「もっともすぐれた、もっとも才能ある」人であったが、今日はもはや何者でもない、糞みたいなものだ、というわけである。

 この感覚を、自分の背後には大勢の名もない「後任者」が立っているという感覚を、わたしたちの誰もが知っている。彼らはどんなときでも、合図の口笛ひとつで、自分の仕事机に向かってすわり、自分のかわりに、小説や交響曲叙事詩を書く用意をしているのだ。才能のない作曲家が雑誌で一斉に「赤いベートーヴェン」と名づけられる。わたしは自分をベートーヴェンと比較するつもりはないが、しかしあるとき、「赤いショスタコーヴィチ」が出現し、自分は消滅するのではないかという感覚を忘れることができない。(ソロモン・ヴォルコフ編 水野忠夫訳『ショスタコーヴィチの証言』、中公文庫、369~370頁)

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 マヤコフスキーショスタコーヴィチに嫌われていたのは上の一節からわかりますが、マヤコフスキーがどれほどの孤立と焦燥の中にいたかも、なんとなく察せられます。1930年に拳銃自殺を遂げるマヤコフスキーは、長年の愛人リーリャ・ブリークに「リーリャ、愛してくれ」と遺書を残したといいます。ここに垣間見られる〈他者による承認への飢え〉みたいなもの、これからまだしばらく勉強を続けるにあたって、覚えておいた方がいいなと思いました。

 外は雪。マヤコフスキーやブリーク夫妻も、こんな寒さに震えながら討論や朗読会をしていたのだろうか、などと思ったり。


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