俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

「ルチア」狂乱の場

 布団の中でうとうとしていると、ときどき自分がどこにいるのかわからなくなります。あれ、おれ引っ越したのか? アパート借りるまでもないから、しばらくまかない付きの下宿にでもいることになったんだっけ? で、パソコン作業用のへやは別に借りたんだっけ? ソッチに行って作業しなきゃ。 じゃあ駐車場はどこだ? クルマどこだっけ? …目が覚めてから、アパートも下宿も夢で、ああ、家にいるんだ…と気づく…老母は出かけて留守。

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 今朝はいったん4時に起きました。その前に2時半に起きたんですが、いくらなんでも早いので少し寝てから。そうして、冷たい飲み物を飲みながら横文字の本を2時間半ほど。今読んでいるのはマヤコフスキーの英語の伝記。みな常識としてこれくらい知ってるんだろうな…と思いながら、オシープ・ブリーク夫人リリリーリャ・ブリークとマヤコフスキーの、苦悩に満ちた、いささか常人には理解不能な恋愛のことを初めてくわしく辿りつつあります。マヤコフスキー伝って昨年暮れに決定版っぽいのが出ていて、そちらもキンドルで買って読むつもりですが、今回読んでいるのは70年代に出た本。

 ステレオで何か聴こう、と思い、すでに一昨年になる2013年12月26日に録音したNHK-FMの『マリア・カラス変奏曲』の第一夜目を流しっぱなしにしました。本を読みながら〈ながら聴き〉すると、どちらも頭に入らないことになりがちなのですが、今朝はそんなこともなかったな。ふだんジャズとかブルーズとか聴きすぎて飽きが生じたとき、こういうのが聴きたくなります。教養の欠落を埋め合わせる教科書代わりにぴったりです。

 マヤコフスキーとカラス。今朝のとっぴな組み合わせ。しかしこうして勉強しなおすと、マヤコフスキーもパフォーマー=詩の朗誦者として同時代人に強い印象を残していたことがわかります。彼の朗読を聴いたリリリーリャ・ブリークがたちまちその虜になってしまったり、荒くれの労働者や赤軍兵士たちがその圧倒的な声に打たれてしんとなってしまったり。つまり極論すれば、こんにち本で読めるマヤコフスキーの詩は、そうしたパフォーマンスの抜け殻=歌詞カードに過ぎないともいえるわけで(その意味で「今でいえばロックスター」などという形容は当たっていなくもないわけで)、ほんらい詩もまた演劇や音楽と同様、終わってしまえば空中に雲散霧消してゆくもの…

 マリア・カラスの方はライヴ録音が残っていて、こんにちでも聴くことができますが、それでもやっぱり、劇場の熱気、歌手たちのたたずまいや顔の色つや、空気の振動など、その場に居合わせなければわからないでしょうね。

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 早く起きて仕事というか勉強というか読書というかをして、いったんダウンして寝る。寝ているうちにも、脳は勉強したことをさまざまに進展させて、夢の中で思わぬ発見に至りつく…今朝は大した発見でもないですけど、概略、ここに書いたようなことを考えました。


マリア・カラス 「ルチア」狂乱の場 カラヤン指揮 1954年ミラノ・スカラ座でのライヴ Maria ...

 

 

I Love: Story of Vladimir Mayakovsky and Lili Brik

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