俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ディープ・リヴァ―

 ちょうど同じ一九四九年に、ウクライナユダヤ人の詩人イサーク・フェーフェル(一九〇〇-五二) がスターリンの命令で逮捕された。そのころ、歌手のポール・ロブスンがモスクワにきたが、歓迎の宴会のときに、イサークという友人がいたことを彼は思い出した。「イサークはどこにいるのです?」「イサークとも会えますよ」。スターリンは決心し、いつもの卑劣な詭計に訴えることにした。

 フェーフェルはモスクワのもっとも豪華なレストランで食事を共にしようとロブスンを招待した。ロブスンがやってくると、レストランの個室に案内された。そこには、確かに豪勢なテーブルが用意され、飲み物やオードブルが並んでいた。それに、本当にフェーフェルがテーブルに向かっていた。そのほかにも、何人かの見知らぬ男たちがテーブルを囲んでいた。フェーフェルはやせて、顔色がよくなく、口数も少なかった。そのかわり、ロブスンのほうはよく食べ、よく飲み、その合間に友人の顔を見ていた。くつろいだ食事が終わると、ロブスンの知らない男たちはフェーフェルを刑務所に連れ戻した。間もなく、フェーフェルは獄中で死んだ。ロブスンはアメリカに帰った。アメリカで、フェーフェルの逮捕と死の噂は根も葉もない中傷である、と彼は語った。彼、ロブスンはフェーフェルと親しく酒を飲んだのだから。(ソロモン・ヴォルコフ編 水野忠夫訳『ショスタコーヴィチの証言』、中央公論社[中公文庫]、342頁)

 ソ連(にかぎらず歴史一般)の研究というものが難しいのは、証言や記録の信ぴょう性を確認するすべがきわめて限られていて、往々にしてあとから覆ることも多いから。ここに引いた例も、冷や汗が出そうな思いで読みました。

 ここ20年ほど古書店で買った和洋の専門書がいっぱい未読のまま。今年あたり遅ればせながら読んでいこうと思っていますが、70年代~80年代に出たものもあって、とっくに史料として無効、というものも多いんだろうな。

 昨日は5時から起きてポール・ロブスンのLPを聴いていました。黒人霊歌、ワークソング、囚人の歌などを取り上げて歌った黒人歌手・俳優で平和活動家。その彼がこんなふうにスターリンの政治宣伝に利用されていたというのは、何とも痛々しい感じがします。

 ちなみに、その後のゴスペルやソウルの歌手と比べると、ロブスンの唱法はきわめて〈白い〉もの。黒人音楽の逆説の一つですが、時代を下るほどビートが強くなり、唱法もクロっぽさを増すのですね。逆にそこが興味深くて、68年に出たLPを繰り返し聴いています。


Deep River - Paul Robeson - YouTube