俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

豊年斎梅坊主『出鱈目』

 芸能と宗教と売色、この三者は時代によって近づいたり距離を置いたりしながらも、ついぞ完全に分離することなく、政治経済という表舞台の裏側で連綿と存続してきた。芸能者が国のお墨付きを得て国宝や芸術院会員なぞにななったのは本当にここ数十年のことなのだ。平安時代の僧侶の説教にはコンサートよろしく女房達が牛車で殺到し、江戸時代の千両役者は庶民の信仰に近い熱狂的な賞賛と富を得ながらも、身分としては河原乞食といわれ、多くの役者は贔屓(ひいき)の宴席で色を売ることも仕事のうちであった。 (田坂州代「日本の放浪芸~小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸ほか 小沢昭一」、星川京児・田中隆文・茂木仁史・大須賀猛編『200CD邦楽 伝統とニューウェーヴ立風書房、2002年)

  レコードによる複製が始まる以前の日本の芸能・音楽のことを知ろうと思ったら、ここで取り上げられている小沢昭一さんのコンパイルした音のドキュメンタリー、『日本の放浪芸』は必須でしょうが、今まで聴いたことがなく、いつかどこかでちゃんと聴きたいと思っています。

 平安時代の僧侶の説教を熱狂的コンサートに例える上の一節は、ゴスペル・グループ、ソウル・スターラーズの「プリティ・ボーイ」だったサム・クックを思わせたりしますね。あるいはロシア革命時代の詩人マヤコフスキーを「今でいえばロックスター」と例える説明の仕方を目にしたこともあります。

 あぼだら教が黒人音楽におけるラップに相当する、という説明も一時よく見かけました(黒人音楽にはラップ以前にもジャイヴ・トークなどの独特の〈語り〉の伝統があることも少し調べればわかります)。リズミカルな語りでテンポよくナンセンスな言葉を繰り出してゆくあほだら経。たしか中村とうようさんが編さんした『大衆音楽の真実』というLPに入っていたはず。たしかにここでは宗教と芸能が混然一体となり、場合によってはそこに売色がからむ、かどうかまではわからない…

 冒頭に引いた田坂さんという方は、執筆者紹介によると「芸能と男色」という卒論で大学を出たそうで、そういうのを地味に調べる在野の研究者ってちょっといいな、と強烈なうらやましさを感じます。

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 おととい、老母を眼科に連れて行った待ち時間にひさびさに珈琲店を二軒はしごして本を読んできました。その日はあたたかで、まだ街も「晩秋」のたたずまいを残していましたが、今日は一面の雪景色です。これからが本当の冬ごもり…


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200CD 邦楽―伝統とニューウェーブ

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