俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

エディ・テイラー『ライヴ・イン・ジャパン』

 

 

ライヴ・イン・ジャパン1977 特別拡大版

ライヴ・イン・ジャパン1977 特別拡大版

 

 

 冬ごもりの準備と称して安いCDを買いあさっているうちに、CDを買うこと自体が自己目的化してしまった…どうもこのところそんな気がします。
 数日前の早朝、早起きしすぎて部屋で九月に買ったブルーズのオムニバス三枚組を聴いているうち、もっと聴きたい、聴こう、という意欲みたいなものが急に高まるのを覚えました。で、某通販サイトで、投げ売り同然の中古のマディ・ウォーターズ、ビッグ・ビル・ブルーンジーを注文。さらにマディのニューポートジャズ祭でのライヴも無性に欲しくなり…いくら安いといっても、これではお金がいくらあっても足りません。
 欲しいなと思ったものの中には、エディ・テイラーの1977年のライヴ・イン・ジャパンの特別拡大版2枚組などというものもあります。こんなものが出てましたか。これ、iTunesStoreでも売ってて、試聴しましたが、興味あるなあ。ただ、もう今月は予算超過。とても買ってられません。
 ふと、ここで我に返りました。エディ・テイラーのライヴ・イン・ジャパン、アナログ盤でさんざん聴いて、それは押し入れを探せばあるんですよ。探すと、ありました。
 LP一枚、AB面で10曲しか入っておらず、拡大版とは比べものにならないですが、拡大版が出たらこれはまったく無意味なのだろうか。お金を使うことばかり考えず、せっかく持ってるこれを、この冬は聴いたらいいんじゃないのか。

 先日から音楽的冬ごもりなどと書いてますが、要はお金を無駄遣いせず、これはという音楽を繰り返し聴いて、退屈な冬を飽きずに愉快に過ごしたい、ということ。せっかくアナログ盤を再生できる環境なんだから、これを聴けばいいんですよね。特別拡大版CDが出ていることを知って、「そういえば」と押入れを探して眠っていたLPを発見する、そのためのコストはゼロ円でした。CD二枚組は、ご縁があればいつかCDなりダウンロードなりで手に入れましょう。今は、高校生だったぼくにブルーズとはこういうものだ、というのを教えてくれたこのLPにまた耳傾けるべきとき。

 エディ、LPのジャケ写ではジャケットにネクタイ、紙コップのコーヒーを飲みながら視線を脇にそらしてます。音は…当時、ブルーズというオンガクにこってり濃厚なものを期待していた子供のぼくには、意外なほど油の抜けた、すっきりした音。ヴォーカルも塩辛のダミ声ではないし。それでいて、歌の節回し、ギターの一音一音に深い渋みとコクがあります。
 今聴いても、バンドとしてこれは鉄壁のアンサンブルで、そうだ、初めて入った大学の3年生の時、後輩にこれを聴かせたら、うわあまるでツェッペリンの未発表セッションみたいですね、と言われたのを憶えています。

 …うん、まさに英国の白人バンドたちがブルーズというフォーマットの可能性を極限まで広げてしまったあと(故ジャック・ブルースはクリームをジャズ・バンドのつもりで始めたそうで、ただしクラプトンにはあえてそのことを黙っていたとか)、ブルーズというのはそこまで延々やらんのだ、ブルーズというのは一種の音楽的節度なのだ、というお手本を示したかのような一枚。

 1977年の日本でこんなライヴが録音されていたなんて、今から思うと、なんだか奇跡のようですよ。

 

 

Hoy Hoy

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  • Eddie Taylor
  • Blues
  • ¥150