俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

大岡昇平『成城だより』

現代詩手帖」年末座談会にて天沢退二郎氏の発言の中にシンガー・ソングライター中島みゆきの名あり。「シンガーなんとかってなんだ」と娘にきいたところ「ずれてるわね」といって、ごっそりレコードを持って来てくれた。中島みゆき、アリス、松山千春などなど。ニュー・ミュージックといわれて、テレビに出ず演奏会レコード主義にて、アリス三人組の如きは演奏会年間百五十回、つまり三日に一度、全国をぶって廻っている由。自ら作詞、作曲し 、歌うのだから中間搾取なし。「アリス」の名は知らなかったが、「君の瞳は一〇〇〇〇ボルト」は知っていた。

 中島みゆき悪くなし。「時代」「店の名はライフ」など、唱いぶり多彩、ひと味違った面白さあり。詞の誇張したところは抑えて唱い、平凡なところは声をはる。歌謡曲とは逆になっているところがみそか。もっともニュー・ミュージックは七八年がピークにて、いまは歌謡曲とあまりかわらなくなりつつありとの説あり。しかしアリスの年間収入五十五億円、来年は地方に演奏会場を持つとのうわさありとは驚いた。

 知らない客にドーナツ盤をきかせて、暮から得意になっていたが、新しがり屋の埴谷雄高だけは、中島みゆきのヒット曲「わかれうた」の題名まで知っていた。しかし高石友也岡林信康など、フォーク以来の系譜を扱った富沢一誠『ニューミュージックの衝撃』(共同通信社)は知らず、抑えてやった。(大岡昇平『成城だより 上』、講談社文芸文庫、2001年、28~29頁)。

 大岡昇平さんって『野火』『レイテ戦記』『事件』の…ぼくぜんぜん読んでないんですが、それでもこの『成城だより』は面白く読めます。

 このところ当ブログも備忘録のように70年代末~80年代の想い出を書いていましたが、この本はちょうどそのころの作家・大岡氏の身辺雑記。当時ぼくが高校から大学へ行くころ。日記なんてつけてたらきっと今ごろ宝物だったでしょうが、心がけ悪く、何も残らず、今になって想い出をかき集めています。この本は、意外な方向からの贈り物となりました。

 「自ら作詞、作曲し 、歌うのだから中間搾取なし」という感想が面白いですね。文学者である大岡氏にはやはりそっちのほうが芸術家の正道と映っているのか…別のページではヒットチャート10位のうち歌謡曲が3つだけで、「あとの七つはニュー・ミュージックとはなんとなくいい気持ちなり」、とあって、今日び誰もニュー・ミュージックなどという言葉を使わないからこそ、これ、今となっては貴重な時代の証言ですよ。ただ、当時、ひねくれ高校生だったぼくは、すでに平岡正明近田春夫といった論者たちの高踏的批評によってその認識にもう一回半ひねりを加えられ、歌謡曲の方が芸術として高度で洗練されている、という認識に達し…って、この話はもういいですね。

 特記すべきは、大岡先生、このとき、すでに七十歳を越しておられるということ。心不全や糖尿病に悩みながら散歩し、『地獄の黙示録』『大理石の男』を観に映画館へ出かけ…という旺盛な知的好奇心。他にもいろいろな音楽家の名が出てきて、おおっ!となります。ただ、上掲の記載は「一月九日」とあるものの、「何年の」一月なのか、この上巻だけ眺めてもわかりません。下巻の加藤典洋氏の解説で、一九八〇年の一月のことらしいと推測がつきます。『文学界』誌に連載されたそうで、加藤氏いわく、文芸誌にかかわる人の間で「『成城だより』読んだ?」といった会話がなされるほどだったという、まさに80年代、インターネットなき時代のブログ。

 以上、メモ代わりに。

 

 

成城だより 上 (講談社文芸文庫)

成城だより 上 (講談社文芸文庫)