俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

もしあの商店街にあったのがジャズ喫茶ではなく

 メモ代わりに。
 十月十三日月曜(祝日)のNHKーFMは『今日は一日N響三昧』でした。10時間ほどもNHK交響楽団の過去の音源が流れました。
 この『今日は一日○○三昧』はおもに祝日に放送されるマラソン音楽番組。テーマはそのたびごと変わり、ジャズだったりアニソンだったりGSだったりフレンチポップスだったりしますが、よほど興味あるテーマでない限り、本当に通して聴くことってありません。ましてや自分はあまり知らないというか、若い頃からむしろ積極的に無視してきたクラシック音楽。当然聴かない、となるところ。でも今回は、ほぼ最後まで聴き通しました。
 壇ふみさんや池辺晋一郎さん、N響の新旧楽団員さんらのトークが、嫌みがなくてとても楽しかったと思います。池辺さんのダジャレ連発は、若い人には「おやじギャグ」呼ばわりされる類のものかもしれませんが、そういうイヤラシイしつこさはぼくはあんまり感じず、クラシックの人たちってこんな底抜けにハッピーなのか…と、かえって強い感銘を受けました。また選曲も、あまりぼくのような門外漢に置いてけぼりを食わせるものではなく、外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」のようなものを取り混ぜ、なかなか面白かったです。
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 最初に大学生になったときジャズ喫茶に出入りするようになった話は前回も書きました。なにせ、歩いて七、八分の商店街にあったのがジャズ喫茶だった、という利便性の要因は大きいですね。だったら、もしあの商店街にあったのがジャズ喫茶ではなく、クラシックをかけるいわゆる名曲喫茶だったら、自分は通っていただろうか? 昨日ラジオを聴きながら、ふとそんなことを思いました。
 この自分の〈積極的なクラシック無視〉は、直接的には、高校の頃読んでいた『ニューミュージックマガジン』の影響、というのはハッキリしています。同誌を主宰していた中村とうよう氏はどこかで、音楽には「俗楽」と「非俗楽」の二種類しかない、と述べておられました。そして俗楽=ポピュラー音楽にこそ普遍的価値がある、というのが亡きとうよう御大の持論。それですっかり安心して、いろんなものを遠慮なく聴いて育ちました。これがもし、クラシック音楽がまず絶対的なものとしてあって、その辺縁=下位にポピュラー音楽がある、という観念を植え付けられていたとしたら…田舎に生まれて、そういう素養のない子供時代を送ったハンディは一生克服できなかったろう…この思いは今でもずっと変わらないのですね。
 ただ一方、人間の好みなんて他愛もないきっかけで変わることもあるもので、昨日みたいに一日中、レコード化されていないレアなオーケストラ音源を流すなんてFM番組がもし当時あったとしたら、案外それにかぶれて、熱烈なクラッシック音楽マニアになっていた可能性は…ほんの少しありますね。いや、過去のことについて仮定やら可能性やら話しても仕方ないんですが、サヴァリッシュ、マタチッチ、スイトナーといった指揮者たちの素顔を語るスタジオの様子がとても楽しげかつマニアックで、若い頃の自分なら思わず受け売りしたくなるような興味深いものでした。
 学生の頃って、お金を貯めてようやく安いレコードプレイヤーを買い、周囲の誰も知らない洋楽なんかを聴いていました。まかり間違っていたら、それがブルックナーマーラー伊福部昭武満徹外山雄三…だったとしても、まったくおかしくないような気がします。
 動画は伊福部、武満、でもよかったのですが、モーツァルトの四十番というのはどうでしょうか。クラシックを〈積極的に無視〉して過ごした自分が、こんな曲はけっこう昔から好きだったり、なんてことにも今回気付きました。

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 もっといろんなことが知りたいなあ、と心底思います。そして、何にもとらわれない、本当に自由な人間になりたいなあ。


モーツァルト 交響曲 第40番 ト短調 K.550 Mozart Symphony No.40 - YouTube