俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ロビンソン

 先日行った札幌。9月の札幌って何年ぶりでしょうか。街を歩き回って気持ちのいい時間でした。

 訪ねた研究室でパソコンの話。学生が「パソコンが壊れた」と騒ぐときは案外たんにAC電源が入っていないだけの場合が多い、という話になりました。パソコンがなければ夜も日も明けない現代人ですが、電気がなければパソコンは動かないのですよね。

 で、メモ代わりに引いておきます。ずっと本棚で眠っていたV・シクロフスキー『革命のペテルブルグ』(水野忠夫訳、晶文社、1972年)のこんな一節。

 市の中心部にはガス灯がともり、青い光を放っていた。場末の町では、ガラスに油煙を残す石油ランプの街燈が、黄色く、わびしげにともっていた。

 ネフスキー通りの高い電柱には、電燈がともされ、すみれ色の光を投げかけ、単調で鈍いうなりをあげて震えていた。

 電気はまだ誕生したばかりで、這いまわる赤ん坊のようだった。 

  シクロフスキーは1893年生まれ、とウィキにありますから、これは20世紀になるかならないかの頃のロシアの首都の話です。そこでは「電気はまだ誕生したばかりで、這いまわる赤ん坊のようだった」というのです。

 思い起こせば、大学院生のころメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』を読み、そのとき、この作品の背景には、電気こそ生命の原動力と考える18世紀イタリアの科学者ガルバーニの発見(死んだカエルの足に電気を通すとけいれんする)があるのを知りました。そのころはまさかその電気なるものが夜のあかりとなりモーターを動かし、音声や映像を記録し…というふうに人間の生活を激変させるとは予想されていなかったと思います。ところが電気はやがて人間の生活になくてはならないものとなり、レーニンが「共産主義とはソヴィエトプラス全土の電化」と言ったのは有名です。ガルバーニからレーニンまで。大ざっば過ぎますが、その過程には、〈電気の幼年時代〉が確かにあったはずなのですね。

 その間、いつ何があり、人間の生活や認識がどう変わったか。そういうのを、いつか丹念にたどってみたい。というか、そういう研究って、とっくに誰かがやっていますか。そんなことを考える秋の夜更けです。

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 若い人の聴く音楽って、ぼくにはもうわかりませんが、20年ほど前、大学の教師になりたての頃、街のアーケード街を歩いているとスピーカーからはスピッツ「ロビンソン」が流れ、女子高生たちがそれに合わせて歌っていました。これですら、今じゃ歴史的回顧の対象=懐メロなんでしょうね。UNCHAINなるバンドによるカバーは本家のマサムネさんとはまた違った声質で、けっこう聴かせます。


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