俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

1985年のクルト・ワイル


Ballad Of The Soldier's Wife - Marianne Faithfull ...

 八十年代ごっこで終わる、今年の夏…というか今年の夏に限ったことでもないのですね。

 三年前、安いアナログレコードプレイヤーを購入してから、死蔵していたアナログ盤を聴いています。八十年代の終わり、リサイクルショップに通っては当時急速にすたれつつあったLPを買ってましたが、そのころの気分がよみがえります。処分せずによかった…

 さらに最近もまた、リサイクルのお店で、ほとんど投げ売りのLPを買ってきては、クリーニング液できれいにしては聴いています。アナログ盤って、東京の専門店では数千円、あるいは何万円という値段がついているらしいですが、まあ、ぼくの行くようなところにはそんな高価な盤なんかおいてやしません。二百円とか三百円とか、ちょっといいなというのでも八百円とか。なかにはそんな値段でミントな(=新品同様の)ものがあったりして、そんなときはしばらく幸せな気分です。

 これは525円のシールが張ってあります。確か去年の秋ごろに買ったのだと思います。ハル・ウィルナーがプロデュースし、スティングルー・リード、マリアンヌ・フェイスフル、ジョン・ゾーントッド・ラングレンらが参加した『クルト・ワイルの世界~星空に迷い込んだ男~』。日本盤はアルファ・レコードから出ていて、1985年のコピーライトの表示があります。このところ書いているエントリーの音楽とはだいぶ趣が異なりますが、これも八十年代らしい音。冬からずっと聴いています。

 日本語のライナー・ノーツを書いているのは有名なジャズ評論家ですが、これを読んで改めて、日本では1920年代の文化への関心がまさに八十年代に高まりを見せたことがわかりました。ちょっと引用しますと

このところ映画『コットン・クラブ』のヒット、アール・デコへの大きな関心、フィッツジェラルドの文学などに対する人気、ビデオによるクラシック映画の復刻などによって1920年代に対する興味と関心は異常な高まりを見せているが、クルト・ワイルはまさに1920年代に名を挙げ、活躍したドイツの作曲家であり、彼の代表作『三文オペラ』は1928年の作品で、20年代という時代をも色濃く反映している。したがって1920年代に強い興味が寄せられつつある現在、ワイルの音楽作品がリバイバルして当然だとみることもできるのである。

 このライナーはさらにこのアルバムの顔ぶれがロック寄り、若者好みでありながらアレンジや歌い方は1920年代の雰囲気をたくみに生かし、「若者たちにはその神秘的で、退廃的なムードがたまらなく新鮮かつ魅惑的にひびくのではないかと思う」と続いていきます。

 発表当時、これ、ぼくはとおして聴いた記憶がありません。しかしその後上述のような1920年代の文化への関心は一時の流行に終わらない普遍的なものとして定着し、そうした八十年代の時代思潮が波及した果ての方で(六,七年遅れで)、ぼくなんぞが多少とも1920年代に関わるテーマで大学院で論文を書くことになる…

 いや、それもさることながら、こういう音、確実に当時の流行の最先端だったですもんね。アマゾンのレビューを拝見しますと、当時、これがFMラジオで「最近発売のちょっといい音楽」として流れていた、と書いている人がいます。退廃的でありながらとてもお洒落で、しかも聴いてメロディを覚え、歌詞カードを読めば歴史や文化についての教養もつくという、流行に敏感な八十年代人が放っておくはずのない音楽。ジョン・ゾーントッド・ラングレンが思い切り前衛ロックしている一方、マリアンヌ・フェイスフルやダグマー・クラウゼが兵士の妻や不実な愛人を持った女の悲哀をけだるく歌いあげ、弦楽四重奏団が「ユーカリ・タンゴ」を切々と演奏し…そういや、これ、九十年代にどこかで買ったCDも持っているのですが、そちらはずっと眠ったままです。こんなに繰り返し聴いたのはやはりアナログ盤だから? この盤はあの頃どこかの工場でプレスされ、こうして空気振動=音楽となるのをじっと待っていた…

 ふつう〈失われた十年〉というのは九十年代以降をさしますが、ぼくにとっての〈失われた十年〉は、世の中の動きも、自分の適性も、さっぱりわからなかった八十年代です。田舎にいるとわからなかったというだけなのかもしれませんが、今こうして三十年遅れで、暗い自室でクルト・ワイルが鳴っています。