俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

じゃがたら「もう我慢できない」


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 原子力災害は今に至るも予断を許さない状況が続いています。

 電力会社の責任を追及する声は今あちこちから挙がっていますし、事態の収束にめどがついた暁には、公式にしかるべく経営の刷新なり事業の清算なりが行われるものと思います。だからあくまでも以下は一般論。

 都会から知らない人がやってきて「やあやあ、ひとつ『健康で文化的な最低限度の生活』をしましょう」という。それに異存があるはずもなく、仲良くなってお付き合いしているうちに、相手はふと思い出したように「せっかく二人いるんだから分業でことに当たりましょう」という。それにも異存はない。せっかく二人いるんだからね。でも、どういう風に分業するのかなあ。気になっているうちに相手が東京に帰る日がやってくる。見送りの停車場で、「あの『分業』の件ですけど、具体的にはどういう風に…」と、おずおずと尋ねてみる。すると相手は「ああ、そのこと。私が『健康で文化的な』をやるから、あなたが『最低限度の生活』をしてください。じゃあこれで」。汽車は動き出し、僕はあっけにとられて立ち尽くしている…

 これはドストエフスキー『悪霊』のどこかにあったシーンですか。でも、こういう論理で水俣病が起き、薬害エイズ事件が起き…というのを、何度も見せられてきたような気がするのです。

 上に書いた「都会の人」を自分とは違う「他者」として措定することも、十分に警戒しなくてはなりません。東京の電力をまかなう原発福島県にある、というのと同じ背理は、いたるところにあるわけですから。自分は知らないうちに誰かにそれを強いていないだろうか。江戸アケミが「ちょっとの搾取なら/誰だってそりゃ我慢できる」と唄った、まさにその事態。