俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

トリスタンとイゾルデ

 スラヴォイ・ジジェク、ムラデン・ドラー『オペラは二度死ぬ』(中山徹訳、青土社、2003年)より、メモ代わりに引いておきます。

 「トリスタンとイゾルデの神話は、愛とは、あらゆる社会的、象徴的紐帯を一時無効にするラディカルな侵犯行為である、という宮廷恋愛の原則をあますところなく表現した最初のものである(この原則が必然的に行き着く先は、愛と結婚は両立しないということである。社会的、象徴的な責務にしばられた宇宙の内部では、真の愛は不義というかたちをとらざるをえない)。しかし、侵犯行為としての愛という概念をもうしぶんなく現実化しているという点だけにワーグナーの『トリスタン』を還元するのは、単純すぎる話である。『トリスタン』の偉大さは、その表向きのイデオロギー的企図と、テクストに緻密に刻印された、その企図に対する距離感とのあいだの緊張関係に存するのだ。アルチュセールであれば、こういっただろう。ワーグナーエクリチュールは、それ自身の明示的なイデオロギー的企図を掘り崩す、と」(228頁)

 ジジェクとドラーのこの本は、いつぞや研究会に出かけていって知った本。ソ連文化に関する研究会でしたが、そんな場所ですら、ジジェクの著書を踏まえないと議論が成り立たなくなっていることに驚き、参考文献として挙がっていたこの本や、ジュパンチッチ『リアルの倫理』(河出書房新社)などを注文しました。ところが、この『オペラは二度死ぬ』は、タイトルのとおりオペラに関する本ですから、そういう音楽知りません、苦手です、と言っていては理解が難しい。で、他の本の山に埋もれるにまかせて忘れていました。

 今日、NHK-FMでずっと『トリスタンとイゾルデ』が流れていて、そのあと本棚に目をやってこの本と再会。びわ湖ホールでの公演の録音、ということはいつぞやBSでやっていたときの録画も持っています。一度通して観て、こんど対訳本か何かさがしてゆっくり観なおそうと思っていました。

 ジジェクとドラーの本は途中まで読んだ記憶があって、しおり代わりに紙を挟んでありました。そのページがちょうど上に引いた部分。ぜんぜん憶えていませんでした。音楽に関しては好き嫌いがすべて、クラシックはあえて聴きません、という僕も、苦手意識をいったん棚上げして、勉強しておいたほうがいいかもなあ、と思いました。それでジジェクらの議論についていけるようになるのであれば。そんなに簡単ではないでしょうけどね。


YouTube: Tristan and Isolde Trailer