俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

コルトレーン・プレイズ・ザ・ブルーズ

 むかし、北海道某市の真っ暗なジャズ喫茶に通っていました。お世辞にもこぎれいでおしゃれ、という店ではなかったですが、スパゲティを食べに来る高校生でいつもいっぱいでした。冬のきんきんに冷たい外気から逃げるように階段を上がり、3階の店のドアを開けると、石油ストーブのむっとした熱気。そこでよく鳴っていました。ジョン・コルトレーンコルトレーン・プレイズ・ザ・ブルーズ』(1966年)。マッコイ・タイナーのピアノ、エルヴィン・ジョーンズのドラム。ベースはスティーヴ・デイヴィスという人で、よく知らないですが、CDをセットして聴いてみると、そうそう、この音。

 

 ジャズ対ジャズ以外のブラックミュージック、という図式は僕のささやかな知的覚醒のなかで決定的に重要な役割を果たしましたので、その対立を乗り越えたはずの今になっても、そういう対立の図式がかつて自分の中に「あった」という事実だけは、死ぬまで消えません。

 中村とうようさんがどこかで「ジャズはブルーズを切り捨てることによって成立した」といった主張をし、読者が「見当違いもはなはだしい、今日のジャズの中にもブルーズは息づいているではないか」と反論する、といったことが確かあったように記憶します。中村さんが土俗的な歌謡であるブルーズこそ本物の歌であり、ジャズはまさにその土俗性を切り捨てて<擬似>芸術音楽に成り上がった、といいたいらしいのはまことにもっともなことです。一方で、リアルジャズの聴き手が、ブルーズの探求はジャズの中でも延々続いているじゃないか、と言いたい気持ちも痛いほどわかるのです。たとえばコルトレーンのこれ。コルトレーン流のブルーズを思う存分吹きまくっているこれにしびれて、「これぞブルーズじゃないか」と思う人がいたとしても、あながち早合点だぜと責めることは出来ません。

 僕の手許にある輸入CDのライナーを読むと、この時期のコルトレーンのクラブ出演では、最後のセットを聴くのが面白かった、みたいな事が書いてあります。早い時間のセットではソプラノ・サックスで「マイ・フェイバリット・シングス」や「グリーン・スリーヴス」といった人気曲を演奏する。深夜2時ごろのセットになるとほんとのコアな信者だけが残り、楽器もテナーサックス、やるのもブルーズだけ、それも40分一曲、とかだったようです。「この時期のコルトレーンはアメリカ中のローカルなクラブのR&Bプレイヤーたちとの近さという点ではっとさせられる。ブヒョブヒョに吹いているという意味ではなく、強度の深み、フィーリングの類似という点において」(ライナーより)。なーんだ、当事者たちには、ジャズ対ジャズ以外、なんていうせせこましい対立の図式はなかった、という意味じゃないですか。

 北海道某市のジャズ喫茶。あのお店に来ていた当時の男子・女子高校生たちの中でも、この音と、甘酸っぱいスパゲティの味が溶け合ってひとつの思い出になっているのかなあ、なんて思ったり。今じゃあんなジャズ喫茶ないですよ。いまの都会の人はスパゲティじゃなくてパスタっていうんだってさ。この時期になると、無性に懐かしいなあ。