俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ~英文法を知ってますか

 ヘレン・メリルがハスキーに歌ってたいへん有名になった曲"You'd Be So Nice to Come Home To".は、長らく「帰ってくれたらうれしいわ」という邦訳で親しまれていました。

 それが誤訳だと知ったのは14年ぐらい前でしょうか。高校~大学初級向けの語学書に何冊も目を通す仕事があって、ポップスやジャズの歌詞を読みながら英語力をつけよう、という高校生向けの参考書に出会いました。そのなかで指摘されていたのです。

 このyouはいわゆる「繰上げ主語 繰り上げ構文」。It is easy to read this book.のthis bookを主語に繰り上げてThis book is easy to read.と書き換える練習は、少なくともワタクシの世代なら中学三年~高校一年ぐらいに繰り返しやっています。この曲のタイトルも、It would be so nice to come home to youとなっていれば誤解の余地はまったくありません。「君の待つ家に帰るのはすてきだろうね(=結婚してくれませんか)」。そのyouが仮主語のitを押しのけて繰り上がったもの、という。

 このことはその時期(14年ぐらい前)ジャズ関係者のあいだでも知られるようになったらしく、ジャズ歌手の大橋美加さんがNHK-FMの番組でこの話をなさったようです。聴取者から「違うんじゃないか」「帰ってきて欲しいという意味なんじゃないか」という問い合わせのお便りがたくさん来て、次の週もう一度説明なさっていたのを聴いた記憶があります。

 で、このエントリーを書くために調べて知ったのは、「帰ってくれたらうれしいわ」なる邦題をつけたのが、ほかならぬ美加さんの父君、大橋巨泉さんだということ。巨泉さん、あれは自分の若い頃の誤訳、と率直に認めておられる由。その率直さが、巨泉さんらしいなあと思います。

 

 巨泉さんの名誉のために言いますと、ジャズ批評家としての大橋巨泉さんはヴォーカルものを得意とする先駆的な英語の使い手。他にもこの人ならではというジャズ曲の邦題、あったと思います。ただ、誤訳というものは、数をこなすうちにはどうしても起きてしまうので、それを鬼の首を取ったように指弾していてはきりがない、ということもあります。大事なのはそれが「無知」によって「構造的に」量産されないよう皆が(あなたやワタクシが)研鑽を積むこと。

 

 渡部昇一『英文法を知ってますか』(文芸春秋[文春新書]、2003年)の冒頭では、いまや高校では関係代名詞がどの先行詞にかかるかを教えることにまったく関心のない先生が多い、と警告がなされています。そんな風で本当に「会話」が大丈夫なの? と。タイトルは軽めですが、かなり重厚な学識が披瀝されていて、読み応えありますよ。

 以下はチェット・ベイカーがこの曲を歌う動画です。