俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

綾戸智絵「枯葉」

 2010年の大みそかはささやかなご馳走を食べ、紅白歌合戦を少し観ました。55歳になったという郷ひろみさんが歌っているのを途中まで観て自室に引っ込んだら、つけっぱなしのNHK-FMで綾戸智絵さんが歌っていました。東京国際フォーラムで開かれた「TOKYO JAZZ 2010」の9月5日昼の部の録音だそうで、ジュニア・マンス・トリオをバックに数曲。「サテン・ドール」、「テネシー・ワルツ」、「オン・ザ・サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリート」「サマータイム」「枯葉」など。

 「枯葉」が面白かったですね。途中からスキャットになり「シャバダバドゥビドゥビドゥンドゥン」と歌っていたのがいつの間にか何と「ずいずいずっころばし」となるところ。こういうのって一歩間違えるとあざとくてイヤらしくなってしまうんですが、綾戸さん、わざとらしさが全然なくて、とてもよかったです。ジュニア・マンスさんのインタヴューも流れましたけれど、「歌手の中には『こうしなくては』という気持ちの強い人もいるけれど、チエはまったくナチュラル。だからこっちもやりやすいんだ」と。「枯葉」のメロディに「ずいずいずっころばし」を乗せて不自然にならないなんて、この人ならではの個性です。

 そのあと手許にあった山口昌男『学問の春 <知と遊び>の10講義』(平凡社[平凡社新書]、2009年)を開いたら、ホイジンガホモ・ルーデンス』のこんな一節が引かれていました。

「詩そのものの機能は、暗喩、警句、地口、語呂合わせ、または音の響き合わせなどにあって、意味が完全に失われてしまうこともある。こういう詩は、遊びの領域に属する概念で説明しなければ、解釈のしようがない」

 この一節を説明するために山口先生が出す例がまさに「ずいずいずっころばし」なのですな。山口先生の話はさらにルイス・キャロルなどのナンセンス文学へと続きますが、それはともかく、綾戸さんも、こういう<遊び>の部分が面白い人。上記の番組、録音すればよかったなと思います。ちなみに綾戸さん、郷ひろみさんより二つ若いみたいです。