俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

あなんじゅぱす「ベースボールの歌」

仏和辞典なんかふだん使いませんが(だってフランス語出来ないもん)、ひっぱり出してひいてみました。

Un ange passe.天使が通った(会話の最中、何となく気まずい沈黙が生じたときに言う言葉)

な~るほど。「あなんじゅぱす」ってそういう意味だったのですか…

池袋の某デパートに入っていた詩の本の専門書店「ぱろうる」はもう存在しない、と聞きましたが、そうなんですか。僕は仕事で上京したとき一度だけ行ったことがあります。そして本のほかに詩のCDのたぐいがあるのを知り、何枚か買ったうちの一枚が「現代詩を歌うバンド あなんじゅぱす」の

「あなんじゅぱすLIVE 『ことばをうたう~詩と旋律の必然性』(2002年)」

でした。これはバンドといっても二人組。歌、ピアノのひらたよーこさんのプロジェクトのようで、このCDでは松山さんというかたがベースとギターでサポートをしています。

現代詩、とありますが、取り上げられている詩人は正岡子規田村隆一谷川俊太郎など。とくに一曲目の正岡子規「ベースボールの歌」が耳に残ります。明晰なピアノと弾むような2ビートをきざむベースに乗って、ひらたよーこさんが口跡ハッキリと歌い上げます。「ベースボール」は字義通り訳せば「塁球」となるところを「野球」と訳語を当てたのは正岡子規だ、といろいろなもので読みましたが、この説は今では否定されてるんですかね。解説にはこうあります。

「『野球』という訳語の作者と伝えられるほどベースボールを愛した子規。アメリカ渡来のハイカラなスポーツを題材にしたこの『歌』とは、短歌のことである。明治ののどかな野球風景が和風マーチでよみがえる」

え? 短歌? と思って歌詞カードをよく見ると、この歌詞、たしかに短歌の寄せ集めです。

打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする

「行きがて」というのがちょっとわからないんですが…仏和辞典より国語辞典ですか。詠まれている情景は今の野球のような息詰まる緊迫感に満ちたものではなく、のどかで牧歌的、「あはは、打ち損じてしもうたわい」という明治の若者たちの声が聞こえてきそうです。

2001年9月20日、吉祥寺MANDA-LA2でのライヴとあります。「ぱろうる」のような書店は地方にはないし、こんなバンドのライヴも近所ではめったに観られません。僕は羸弱(るいじゃく)な人間ですので、大都会で暮らす一種独特のしんどさは耐えられないんですが、こういうCDを見つけると、若いときに4,5年だけ東京に住んでみたかったなと思います。