俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

監獄ロック

「変化和音でスタビーも極端に走った」

「賛成。ブルーベックも不協和音が鼻につく」

「レニーの最新盤ときたら宇宙外だよ」

「でもいつかディキシーに回帰する。無調性はジャズの移行相に過ぎないわ。どうお考え?」

恋人に連れられていったパーティでこういった会話を聞かされ、「どうお考え?」と質問を振られたら、あなたならどうします?

プレスリーの主演映画『監獄ロック』(リチャード・ソープ監督、1957年)の一場面。プレスリー扮する青年ビンスは傷害致死で刑を食らってシャバに出てきたばかりの労働者ですが、獄内で「歌う才能」に目覚め、それで金儲けしようと野心満々。プロデューサー/マネージャーを買って出ようとする女性と恋仲になったプレスリーは、彼女の両親の家に連れて行かれます。父親は大学教授。そこで展開されるのが上に書き出したようなカンヴァゼイションなのですな。

「何の話やら。さっぱりわかりません」。正直だけど粗野、という設定のビンス青年はそう言って家を飛び出すのです。

ここには、ロックンロールの流行を、ジャズより一段劣ったものとみなす当時の<良識ある>社会風潮にたいする批評的態度を読み取るべきでしょうが、もっと大きく捉えれば、音楽について語ってスノビッシュにならずにいるのがいかに難しいかということを言い表した場面とも取れます。同好の士が意気投合して語り合うのは素晴らしいことですが、蚊帳の外に置かれた門外漢はたまったものではないですから。

あるとき、そういう場に付き合わされたことがありましたけど、一同がしきりに盛り上がる中、ショ○タコーヴィチやシベ○ウスはまったく知らない僕はずっと黙っている以外にありませんでした。さいごに「○○さんって、音楽聴かないんですね」と言われ、自分の顔に微苦笑が浮かぶのがわかりました。「うん、まあね」。たんに人恋しくてパーティのような場所に行くのはやめたほうがいいなと思いましたね。

映画『監獄ロック』は、とにかくプレスリーが歌う場面が見もの。凡庸なポップ・カントリー曲でもブルーズフィーリングたっぷりに歌うことができるプレスリーの魅力が味わえます。反面、そういう音楽にまったくシンパシーのない人にとっては、どうということもないフツーの恋愛活劇でしょう(プレスリー自身もこうしたプログラム・ピクチャーに出るのを嫌がっていた、とどこかで読みました)。ただ映画としてまったくつまらないかというと、酒場で歌っていたプレスリーが、聴こうともしない客に腹を立ててギターを叩き壊す場面が、井筒監督の『パッチギ』に引用されているのかな、と感じたり、正直だけど乱暴なので人を殺してしまい刑務所へ行くという設定が山田洋次幸福の黄色いハンカチ』に転用されているのでは、と気づいたり、わりとちゃんとした観ごたえがありました。