俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

トルストイと著作権放棄

トルストイ没後100年ですか…東京で映画『終着駅 トルストイ最後の旅』が公開中、だそうです。

北海道新聞の以下の記事を読みました。

岩本和久「家出…そして最後の旅[没後100年 トルストイを語る<5>]」(北海道新聞 2010年9月22日夕刊)

妻ソフィアとのいさかいが原因で家を飛び出したトルストイが行き倒れのように旅先で亡くなったのは有名な話。そのいさかいの原因のひとつが著作権放棄である、というくだりで「あっ」と声を上げました。これ、コピーレフトじゃないですか。

いまではサンプリング、すなわち既存の音源の引用と編集によって新しい音楽を作ることは当たり前のようになっています。ところが、著作権の概念を厳密に守ろうとすると、一音でもサンプリングすれば違法で、著作権者から膨大な額の請求書を送りつけられます。これは過去による未来の文化の統制だ、というのがコピーレフト派の主張です。コピー「ライト」、著作[権」に対し、コピー「レフト」、著作「放棄」。もとはコンピューターソフトウェアの分野で使われるようになった言葉だそうです。リミックスで音楽作っちゃいけないなんておかしいでしょ?と問われれば「そうかも…」と思う人は多いと思います。一方で、多くの人は、某ロック歌手(TVコメンテーターとして知られる)が、苦労の末にようやく一曲大ヒットを生み、おかげで、いまでも年間1000万円以上の印税を受け取っている…という成功譚を支持すると思うのです。そうであればこそ、年下の女優さんとの結婚生活も成り立つ…もし夫が、その権利をみすみす放棄する、と宣言したら? 誰が妻ソフィアを責めることができるでしょう?

思いつきで書いてみましたが、言いすぎなところがあればごめんなさい。トルストイの何を読めばこの問題について書いてあるんでしょうか?