俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ポップコーンをほおばって

70年代半ば、甲斐バンドに対する僕らの二律背反的な感情。甲斐よしひろさんのちょっと特異な美顔に代表されるこのバンドのたたずまいは、思春期の女の子に強い訴求力を持っていたと思われます。一方で、情念がにじみ出た詞と曲。その血の濃さは、ちょっと突飛な比較になりますが、三上寛さんの歌世界にだって決してひけをとりません。アイドル的なルックスと楽曲の濃厚な味わいが矛盾しないようで矛盾しつつ同居する立ち位置は、まちがいなく60年代末のグループサウンズのそれを継承するものでした。僕らはそれに激しく反発しつつ、一方ではどうしようもなく惹かれていました。ダメを押したのはこの曲。

今振り返ると、「ポップコーンをほおばって」は、1975年10月のシングル「かりそめのスウィング」のB面だったというんですから、それは実質的に両A面でしょう。iTunesStoreでアルバム『英雄と悪漢』から一曲買いしました。

この曲を聴くと、高校一年生の頃かなあ、遠足に行ったとき、同じ学年の女子がラジカセをぶら下げて甲斐バンドをガンガンかけていたのを思い出すんですね。この曲が流れてたのをはっきり憶えています。

教会の鐘は きこえるかい

天使たちの 賛美歌は 聞こえるかい

悲しい君と僕のさよならは 色あせた午後に 終わってしまった

この歌、どう聴いても、急速に大人になってゆく女性を、成長させずに自分の箱庭のような世界にとどめておきたい文学/芸術青年の心象風景を歌ったものだと思うんですよ。「君が手を振り切った20歳のとき」で、この歌の主人公の時は止まってしまったかのようです。「僕らは飛べない鳥じゃなかったはず 翼を広げたらきっと飛べたんだ」という一節からは、逆に、自己中心的な少年の夢想についてゆけずに逃げ出す女の子の姿が眼に浮かぶようですね。異性に去られた文学少年は、ひざを抱えてこう歌うわけですね。ポップコーンをほおばって、ポップコーンをほおばって、天使たちの声に、耳をかたむけている…

この、どこか無国籍な歌世界は、今振り返るととても文学的で、これに惹かれつつ、このバンドのアイドルグループ的な見え方ゆえに素直に「いいよね」と言えなかった僕らの音楽観って、いったいどういう縛りがかかっていたのだろう、と今日も改めて考え込むのでした。