俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ライトニン・ホプキンス「モージョ・ハンド」

この週末はライトニン・ホプキンス。

学者さんの集まりに出かけていくと、当然ですけど、みんな子供のころから秀才だった人だらけです。高校、大学時代は音楽のことで頭がいっぱいで、ほかの事は何も手につかなかった…などという人にはあんまり出会いません。そういう人は、どうやら僕だけなんじゃないか、さっさと退散しよう…となって、そのままCD店へ直行。

いつだったか、そのようにしてタワレコ某店に向かいました。昔はお金がなくて買えなかったブルーズの名盤を4枚購入。JBルノアー、フェントン・ロビンソン、エルモア・ジェイムズ&ジョン・ブリム、そしてライトニン・ホプキンス。散財ですが、今はまあ、飲みに行くのを一回我慢すりゃ、そのくらい買えないことはありません。で、買ったのはいいんですが、こんだ、そういう濃い音楽を聴く精神的余裕がないわけですな。そのようにして1年が経ち、2年が経ち、もう何年も前の話になってしまいました。気がつくと時は2009年。アメリカには史上初の黒人系大統領。いい機会です。この辺、いっぺんきちんと聴いておきましょう。

mojoとは「まじない、魔よけ」。英語のウィキペディアにはもう少し具体的説明が載っていますが、現物はちょっと想像できません。いずれにせよアフリカン・アメリカンの習俗のアフリカ的古層に起源を有する語のようです。ライトニン御大の「モージョ・ハンド」は「オレはルイジアナに行く。オレのオンナが他の男に走らないようにmojo handを手に入れるんだ」と歌われます。強烈なライトニン節。

若いころは、大学に行ったら、こういう、アメリカ南部の社会/文化を研究できるんじゃないか、などと甘いことを考えていました。そういう研究をしているところもなくはなかったんでしょうが、当時、ふつうの英文科のようなとこへ行って「ブルーズの研究をしたい」と言っても、まともに取り合ってもらえたとは思えません。だから、ずっと後になって、知人の後輩が「K大学の大学院へ進学が決まりました。M先生の指導でブルーズの論文を書きます」と言ったときには、心底、時代が変わったなと思ったし、何より「うらやましいなあ」と思いました。

いや、他人のことをうらやましがってばかりいて、自分ではちっとも努力を積み重ねない、というのはいけないですね。今から、趣味で終わってもいいから、始めればいいのですよね。まずはこういうベーシックな名盤をじっくり聴きこむところから。忙しくなる春までブルーズにどっぷり。それいいじゃないですか。