俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

剽窃の擁護

中井英夫「黒衣の短歌史」(『中井英夫全集 [10] 黒衣の短歌史』、2002年、東京創元社)を読んでいて、ハッとするような引用にぶつかりました。アナトール・フランスが『剽窃の擁護』なる著作で、次のように言っているそうです。

「思想をぬすまれたと思う時、我々は絶叫する前に、まずそれがたしかに我々のものであるかどうか探求して見ようではないか」

これ、近田春夫さんが70年代の後半に盛んに行っていた歌謡曲におけるパクリの擁護と、どうしても重なってしまいます。ずっと音楽を聴き続けてきて思うことのひとつは、ある曲のあるフレーズが他の誰かの曲のフレーズと一緒、というのは別に珍しいことではない、ということです。パクリ、という俗称が示すとおり、ときにそれは意図的な「剽窃」plagiarismだということもあるでしょう。もちろんドロボーはいけないわけですが、しかし、意図的にパクリを行ったかどうかについて、ある種の音楽家/批評家たちは意外なほどに寛容だ、というのも事実です。「パクられたらパクリ返せばいいのさ」と語る音楽家もいれば、「ポップミュージックは基本的に取ったり取られたりですからね」と語る評論家さんもいました。

学生時代、学習塾でアルバイトをしていたとき、生徒が「うちの裏の畑をほじくり返すと土器ややじりがいっぱい出てくる」と言っていたのを思い出します。特定の言語なり12音階なり、同じ[土地」で創造行為が行われる限り、意図する、しないに関わらず、似たようなものが繰り返し生み出されるのはある意味当たり前、とも言えるかもしれません。まったくの無から何かが作り出されるのではない。真の創造というものはなく、すべては編集と引用なのだ。繰り返し言われてきたことですが、アナトール・フランスが言ってたとは知りませんでした。

『黒衣の短歌史』はまったくの誤解で購入しました。性愛や不道徳を歌った、黒ずくめの、ノワールな短歌に関する研究書だと思ったのですよ。でも、この場合の「黒衣」は中井英夫氏が短歌誌の編集者という「裏方=黒子」の立場で書き綴った批評を集成したもの、という意味。半分くらい読んだけど、面白かった。勉強の種は尽きません。