俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

どうせ天国へ行ったって

渚ようこさん『novella d'amore』収録の一曲。カーステレオでかけっぱなしにしてると、この曲からたてつづけに三曲、やけに詞が「突っかかってくる」感じ。今確認すると、阿久悠さん作詞です。

小心に世の中のルールを守りながら暮らす僕ですが、そうやって一生を平凡な人として過ごして、死んだら結局どこへ行けるのかなあ…なんてときどき考えます。仮に天国というものがあるとして、そこへ行けたとしても、そこで会えるはずの懐かしいあの顔、この顔が、実は天国ではなく、その反対側の世界に居たとしたら…つまんないでしょうね。この曲は、そんな内容です。

人間は所詮カンペキな善人になんかなれない。ウソをつきあい、欺きあい、欺きあう同士で姦淫し、酒を喰らい、天国のドアを叩く権利をどぶに捨て…結局、みんな「地の底」にあるあっち側に行ってしまうのだ。「ざんげの値打ちもない」からずっと阿久悠さんの詞の根底にある厭世観です。

友も恋人たちも

みんな地の底にいるわ

そこで私のことを ずっと待っている

なんか、夜、酒、ウソ、といった手垢にまみれたクリシェが飛び交う昔ながらの歌謡曲、のようでもあります。盛り場で働く、もう若くない女の人のつまらない愚痴、のようでもあります。でも、それを、どうせ天国へ行ったって、誰もいないからイヤよ、というところまで突き詰めてしまうこの一曲。晩年の阿久悠さんが僕らに残した、大きな置き土産です。歌うは我らがレアグルーヴ歌謡ディーヴァ、渚ようこさん。もう、棺おけに片足突っ込んだ盛り場の女になりきった歌唱です。このただれた美しさ。こういう詞は、これぐらい存在感ある人が歌わないとね。

人間は死んだらどこへ行くのか。いえ、僕自身ははふだんしょっちゅうそんなことを考えてるわけじゃないですよ。そんな優雅で感傷的な生活じゃないですもん。明日も、あさっても、その次の日曜も、仕事です。