俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『アーバン・ブッシュメン』

昨日、タモリさんの「ソバヤ」を聴いてるうちに、これが聴きたくなりました。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『アーバン・ブッシュメン』(1980年)。

アフロ的なフリージャズというと、僕の世代はこれですね。アルバムは持ってなかったけど、ジャズ喫茶で鳴ってました。トランペットのレスター・ボウイ(1999年逝去)が、オレたちの音楽をジャズと呼ぶな、グレート・ブラック・ミュージックと呼べ、そんな発言をしていたのもこの作品のころなんじゃないでしょうか。

今、CDをかけながら書いてますが、思えばこれも、ちゃんと通して聴いてないなあ。就職してお給料がキチンと入るようになってから、欠落している教養を埋め合わせようと、あれこれ買ったうちの一枚。フリージャズをじっくり聴くなんて、時間だけはたっぷりある貧乏学生の特権みたいなもんで、職について忙しくなっちゃうと楽しめません。2枚組なんですが、とくに2枚目なんて、CDプレイヤーに載せたこともなかったんじゃないかな、と反省。

レスター・ボウイならトランペット、ロスコー・ミッチェルならテナー・サックス、ジョゼフ・ジャーマンならアルトという担当楽器のほかに、ソプラニーノからバスまでの各種サクソフォン、自転車の警笛、おもちゃのラッパ、ホイッスル、ホラ貝、その辺で拾ってきたものなど、さまざまな「小さな楽器」を鳴らす「多楽器主義」が彼らの身上です。それらの楽器を、プープー、シャラシャラ、チコンチコンと吹き鳴らし、打ち鳴らしながら太古の精霊と呼びかわすメンバーたち。2枚目の2曲目「祖先の瞑想」では、文字通りの瞑想的な無音状態が5分ほども続きます。散漫といえば散漫な展開。しかし、そこでしびれを切らしてはダメ。その静謐な時間の流れの中からワルツが、アフリカ的ドラムが、フォービートが噴出してくる瞬間をこそ楽しまなければなりません。だから、心の余裕がないと、とてもとても。

1980年5月、ミュンヘンでのライヴ。いろいろ検索すると、彼ら、ステージ上では500以上の「楽器」を並べて演奏していたそうですが、このときはどうだったんでしょう。こうして「聴いて」いるだけでは彼らの「多楽器主義」、ほんの一部しかわからないのかもしれません。全盛期の彼ら、ぜひ観たかったなと思います。