俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

タモリ「ソバヤ」

昨日、中島みゆきさんの「蕎麦屋」について書いたら、無性に蕎麦が食べたくなりました。冷たい蕎麦も大好きなんですが、この時期になるとやっぱりあたたかい蕎麦が食べたくなりますね。別においしい店に食べに行かなくても、ご飯のおかずがないときなんか食べる、乾麺を茹でてだしをとって、かきあげと新鮮なねぎを添えただけの、シンプルな蕎麦。今度の年末も、別にご馳走を食べたいとは思いません。昔と変わらないああいう年越し蕎麦があれば、もう十分ですよ。

タモリさんの1977年のファースト・アルバム、せっかく持ってるのにあんまり聴いてません。聴くときも、通して聴くことはなくて、これ一曲だけ繰り返し聴いてます。「"武蔵と小次郎"part4~アフリカ民族音楽"ソバヤ"」。

折りしもフェラ・クティ『ゾンビ』と同年ですね。でもタモリさんが『ニュー・ミュージック・マガジン』のアフリカ音楽の記事なんかを耽読していたとはあんまり考えられなくて、これはニュー・ジャズの延長にあるアフリカ音楽のイメージでしょうね。アメリカの黒人ジャズメンが自由を求める苦闘のかなたに幻視した、原風景としてのアフリカ音楽、のそのまたパロディ。でもいい線行ってますよ。

パーカッションや木琴のポリリズミックな乱打。ワイルドな雄たけび。ヨルバ語かスワヒリ語かをでたらめに物まねしたヴォーカルと「ソバヤ、ソバヤ!」という合いの手。典型的なコール&レスポンスです。それがときどき「風呂屋の二階で!」と、意味があるんだかないんだかわからない日本語になってじわじわ盛り上がります。ソバヤって、言うまでもなく僕らにとっては「蕎麦屋」なんですけど、このsobaya、という語感が、こうして聴くとなんともアフロ的。これ、聴いててマジに興奮するワタクシって音楽のリテラシーが高いんでしょうか低いんでしょうか。

あと、冒頭の電車のアナウンスですね。「…次は肥前ナイロビ、肥前ナイロビ。ケニヤ線は橋を渡って2番線より17時25分の出発…」。今こうして聴いて腹を抱えて笑うということはないですが、初期タモリの真骨頂です。やっぱり、山下洋輔さんに代表されるある種の日本のフリージャズの世界が垣間見えます。