俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ひきつづき岡崎京子『東京ガールズブラボー』

というわけで、印象に残る場面だけ拾っていっても3,4回では書ききれないぐらいあります、『東京ガールズブラボー』。今回書かなければと思うのは、ガールズのほうではなくて、ニュー・ウェーヴ少年のほうです。この作品には、サカエちゃんに恋をする犬山くんというニュー・ウェーヴ少年が登場しますが、これが刈り上げにメガネ、典型的な理屈っぽいナルシストなのです。サカエちゃんと仲良くなりたいのになれず、逆にサカエちゃんとは正反対のメガネ少女、丸玉さんに惚れられてにっちもさっちもいかなくなるんですね。この丸玉さん、長期欠席したかと思うと、物語の最後で超絶美人になって再登場、犬山君の家へあがりこんで、全裸で犬山君に迫りますが、犬山君、誘惑に負けまいと本を取り出し「リゾームには始まりも終点もない、いつも真ん中に、ものの間、存在間に、Inter-Mezzにあるのだ」と読み始めます。これ、急には探せないですが、ドゥルーズ=ガタリの一節ですか?

東京ガールズブラボー』は80年代の青春を描いた作品ですが、書かれたのは90年代に入ってから(90年12月から91年12月、月刊CUTIE連載)。下巻の巻末での浅田彰氏との電話対談の中で岡崎さんは、あの頃、雑誌などで80年代はなにもなかった時代、と総括される風潮にはっきりと異議をとなえています。そう、僕らにとっていろんなことがおこった大変な時代。サカエちゃんが最後のペーシ ゙でおこなう80年代総括は必読。全編引用したいとこですが、携帯からの更新、つかれたので続きは来週。