俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

大学院/孤児院

…となんだか唐突なタイトルをつけてしまいましたが、以下はまったく「孤児院」と「大学院」という名詞の語感からくる連想のはなしで、別に深い意味はありません。

映画が苦手な自分にしてはずいぶん映画を観た夏でした。しかも夏がなかなか終わりそうにないんですね、これが。気温も下がりませんし。先週はニキータ・ミハルコフが一気に三本届きました(『黒い瞳』と『太陽に灼かれて』はVHS、『愛の奴隷』はDVD)。ロシア西部劇の古典、『砂漠の白い太陽』というのも英語字幕で観なければなりませんし、深作欣二仁義なき戦い 広島代理戦争』、『バトルロワイヤル』もまだ観ていないまま、かばんの中で眠ってます。でもって、これを注文してしまいました。

この道は母へとつづく』(アンドレイ・クラフチューク監督)

以下はアマゾンのページで読めるこの作品の梗概です。

「…ロシアの辺境にある孤児院で育った6歳の少年ワーニャは、幸運にも裕福なイタリア人夫婦の養子に選ばれる。しかしある日、すでに養子に引き取られていった友達の母親が突然現れたことで、彼の心は大きく揺らぐ。募る想いを抑えきれなくなった彼は院を脱走する」

この最後の文の、院を脱走する、のくだりが、なんともねえ…。『院』を、脱走する。いつのまにか学舎を去って連絡の取れない何人もの後輩たちの顔が脳裏をよぎった次の瞬間、ここで言う『院』は「大学院」ではなくて「孤児院」なのだ、と気づくのです。

ちょっと文意がわかりにくいですか。「孤児院」というのがどういうところか、普通に親のいる家庭に育った僕はまったく知りません。ましてや、それを「大学院」と比べることができる、などというのは真面目に主張すべきことではありません。ただ、この『院』の字が、一瞬、おかしな錯覚を引き起こしました。院を、脱走する…

それにしても、『この道は母へとつづく』、どんな映画なんでしょう。楽しみです。

注:今日の音楽はカルメン・マキにしましょうかね。

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