俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

小泉今日子「半分少女」

あった、ありました。ウイリアム・ギブスン『あいどる』の原著のペーパーバック。たしか十年以上前、仕事で上京したとき、どこか書店の洋書コーナーで買った記憶があるのです。原文で読んでやろう、と思っているうちに、いつの間にか買ったことも忘れてました。でもどこで買ったのかな。パルコの本屋さんのカバーがかかってますね。といってもどの支店だったか…

『あいどる』、読了した後も濃厚な読後感があって、文庫本を開いて、あちこち読み返しています。ひとつの発見は、ヴァーチャル・アイドルのレイ・トーエイ(投影麗)が実在しないアイドルであるのに負けず劣らず、彼女と「結婚」しようとする生身のロック・ヴォーカリスト、レズもまた、人為的に操作されたイメージの産物である、ということでした。レズとレイ・トーエイの「結婚」のうわさを確かめるために東京へ飛ぶ14歳の少女、チア・マッケンジーは、母親から、ロー/レズのメンバーはあたしと変わらない年齢なのよ、という意味の愚痴を聞かされます。情報の集積のなかから「結節点」を見出す能力をもった研究者レイニーも、与えられた情報の中から何を見出すこともできず、こう言うのです。「あれは人格じゃない。あれは企業だよ」。現実のレズに会ったレイニーは「メディアが伝達する顔と、目の前の顔とのはざまで生みだされるバイナリーなちらつき」を憶えます。ラブ・ホテルを舞台にしたナノテク・アセンブラをめぐるロシア人との争奪戦にレズ本人が乗り込んできたとき、チア・マッケンジーは彼を見分けるのに「一秒ほど」かかってしまいます。事件が終わった後、ニュースに登場して関与を否定するレズの映像は実物より痩せて見えるように「微修正」されています。レイ・トーエイだけでなく、レズ自身が作られた虚像であることが随所で語られるのです。

発見はもう一つあって、レズとレイは、あらゆる困難を排して「合一」を成し遂げようとします。なんだか、レズとレイ・トーエイ、サイバースペース上のジョンとヨーコじゃないですか。これ、時間があったらほんと原文で一回読み返す価値ありますね。

さっきTVを観てたら、小泉今日子さんが出てきて安住アナウンサーと食べ歩きをしていました。自分のことを苗字で「小泉」と呼んでいたのは、矢沢永吉さんが自分のことを「ヤザワは…」と呼んでいたことの影響だ、といった、ちょっとした自分史の披露も。今日も頭の片隅で『あいどる』のことを考えながら、もう一方の片隅ではずっとキョンキョンが鳴り響いていました。3枚組ベスト『Kyon3』の一枚目はどの曲をとっても果汁が飛び散るほどの新鮮さ。僕は古い人間ですから、完全なヴァーチャル・アイドルではなくて、半分は生身、半分は人工的イメージといったぐあいに、ほどほどに作りこまれた少女歌手がたくさん出てきた80年代が懐かしいです。今日の一曲は、そういう意味でも「半分少女」。