俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

小泉今日子「私の16歳」

とっくに読んでいなければならない本ですが、ずっと読んでいませんでした。先週末、ぽっかりと時間ができて読み始めました。

ウィリアム・ギブスン『あいどる』(浅倉久志訳、角川書店[角川文庫])

原著は1996年。翻訳が97年に出て、文庫は2000年に出ています。僕が読んだのは、どこかのブック・オフで買った文庫本で、105円の値札が張りっぱなし。近未来の東京を舞台に、世界的ロックンロールユニット、ロー/レズのヴォーカルのレズが、日本のヴァーチャル・アイドル、レイ・トーエイ(投影麗)と結婚する、という筋立て。しかレイ・トーエイはソフトウエア・エージェント。ホログラムのなかの女の子、つまりコンピューター上の膨大な情報の集積に過ぎません。いままでさまざまなオンナと浮名を流してきた世界的ロック・スターが、一体どんな気まぐれでそんな幻と「結婚」する気になったのか?うわさの真相を確かめにシアトルから飛んできたファンクラブ会員の少女、チアのストーリー・ラインと、情報の海の中に<結節点>を見つけることのできる特異な能力を持った専門家レイニーのストーリー・ラインが交互に語られ、最後はその二つが重なりあいます。太平洋を越えてきたチアは、自分が輸出規制の対象となっているナノテク・アセンブラの運び屋の役割を担わされていることに気づきます。ロシアのマフィアが乗り込んできてのドンパチ。場所は東京の下町と思しきラブホテル。絶体絶命の窮地。そのとき全世界を駆け巡る<レズ、東京のラブ・ホテルで死亡>のデマ。続々と集結する少女ファン。出動するパトカーとヘリコプター。混乱に乗じて主人公たちは危機を脱します。なかなかよくできた活劇です。

この小説での<あいどる>、レイ・トーエイはまったくのデジタルな情報の集積ですが、意思を持ち、レズとの結婚を成就させます。この着想の原点には、いうまでもなく、実在しないアイドルの先駆け、芳賀ゆいがあります。巻末の「謝辞」や巽孝之さんの解説によれば、ギブソンは、カール・タロー・グリーンフェルド『スピード・トライブス』によって、日本のおたく文化についての詳しい知識を得てこの作品を構想したようです。それにしても、芳賀ゆいって、懐かしい名前ですね。その頃僕は、音楽から遠ざかった生活をしていたので、あまりくわしくその音楽について語ることができないのが残念です。

僕の認識は、80年代的な<アイドル工学>でとまってます。オーディションや街頭でのスカウトを通して見出された生身の女の子に、資本集約的に付加価値をつけていくことによって売り物にする、というおなじみの方法。ただ、この場合、素材となる生身の少女はちょっと可愛ければいい、というものではなく、何か核となるものを持っていなければなりません。歌のうまさだけにも、容姿の可愛らしさだけにも還元できない強烈な<サムシング・エルス>。そういった歌手の代表として小泉今日子の名を挙げるのは、そして「なんてったってアイドル」での確信犯としてのアイドル小泉今日子を語るのは、いまや陳腐のそしりをまぬかれないかもしれません。たしかに、最初からあんなにオーラを放っていたわけじゃないと思うんですよ。3枚組ベスト『kyon3』のトップを飾るデビュー曲、「私の16歳」は、むしろ、そのいかにも80年代的な…という匿名性によってきわだっています。仕事が終わった後、カーステレオにセットして、繰り返し聴いてしまうのはやっぱりこの曲。

ねえ 少しうつむいた顔が好き

ねえ 照れた目もとが好きよ 好き

ねえ 大人ぶっているのね あなた

もう涙なんか こぼれそう

今日も紅いリラの花 髪にさして待つの

(ヴァーチャル・アイドルは髪に花をさしたりできるんでしょうか)