俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

仁義なき戦い

昨日、仕事を退けて買い物をして帰宅したら、トイレの電球が切れていました。ドアを閉めると真っ暗。こんなところで転んでけがをしてはつまらないので、買ってきたビールとご飯のおかずを冷蔵庫にしまって、ふたたび買い物へ。電器店ではなくホームセンターへ行き、電球をまとめ買いしてきました。

帰宅途中、古本や中古CD、DVDの置いてある店へ。中古DVDのコーナーで『仁義なき戦い』(深作欣二、1972年)を見つけました。2480円。ちょっと考えて、「持っていてもいいかも」と思って購入しました。

昨日の記事で、ソビエト映画『1953年の冷たい夏』に東映ヤクザ映画の影響があるかもしれない、と書いた直後のことでした。今調べると、オリジナルの『仁義なき戦い』は5部作まであって、僕はそのうちの何作目かをTV放映で観たことがあるきりで、有名な第一作を観たことがなかったんですね。で、『1953年の冷たい夏』との間に影響関係はあるか?と考えながら観てみました。

作品のタッチはそんなに似てはいないと思うんですが、片や敗戦、片やスターリン死去、という時代における価値観の混乱に翻弄される人間を描いている、というのは同じなのかも、と思いました。キーワードは「恩赦」です。『1953年の冷たい夏』では、スターリン死去によって本来まっさきに釈放されるべき無実の政治犯2人は流刑地につながれたままで、出してはいけない凶悪犯のほうが恩赦によって娑婆に出てくるという逆説的な状況が、何も起こらない僻遠の流刑地に暴力を呼び込んでしまう、という設定になっています。片や、『仁義なき戦い』のほうでも、後半、金子信雄演ずる山守組組長に懇願されて2度目のヒットマン役を引き受けた広能昌三(菅原文太)は、サンフランシスコ講和条約締結(1951年)による恩赦で娑婆に出てくる、という設定。朝鮮特需に沸きかえる娑婆にでてきた広能は、ヤクザ社会のルールが激変していることに深く失望します。『1953年の冷たい夏』においても、主人公ルズガー(くず)ことセルゲイはさいごモスクワへ戻っていくのですが、その孤独さ、寡黙さには、どこか菅原文太演ずる広能昌三の面ざしがあるかもしれません。

いろいろ書きましたが、ロシア映画に詳しいかたがたの間ではこの点がどう議論されてるのか、僕知りません。昨日も書きましたが、僕は映画は得意じゃありません。細部について思い違いをしているかもしれません。時間ができたら、また見比べてみることにしましょう。

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