俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

僕のソルジェニーツィン

ソルジェニーツィンが亡くなった、というのを、僕は馬鹿なことにニューヨーク・タイムズ電子版の速報で知りました。おや、と思って国内のニュースサイトを見たら、すでにちゃんと記事が出ていました。

ずっと昔、まだ普通の会社に勤めていたころ、ロシア文学専攻の道に進んだ先輩と街を歩いていました。ふと僕はこう言いました。「ソルジェニーツィンは官僚の街モスクワを嫌悪したが、同時に商業の街ニューヨークにも愛想尽かしをすることによって、認識の自由のための闘士たりえている。だが、フリードマンはたかだか反共の闘士に過ぎない」。これは僕が自分で考えたことではなくて、当時読んだばかりの西部邁氏の何かの本の一節でした。『経済倫理学序説』だったかな、記憶にたよって今このように書いていますが、正確な引用ではありません。「要確認」です。ただ、論旨はほぼこの通りだったと思います。ふと口をついて出てくる、それくらい印象的な箇所だったのです。それを聞いた先輩、即座に「じつはソルジェニーツィンは『認識の自由のための闘士』たり得てないんだよ」と答えました。当時(80年代の中ごろ)、僕は、露文専攻の先輩がなぜそんな否定的なことを言うのかわかりませんでした。が、今になって思えば、反体制作家ソルジェニーツィンを西欧寄りのリベラリストだろうと単純に思い込んでいた当時の文学青年たちは、彼が実際のところは西欧嫌いのナショナリストであるらしいことをだんだん知り始めて、奇異の念に打たれていた最中だったのです。

ずっと後になって(ってこの表現、便利ですね)、僕自身がロシア語ロシア文学に足を突っ込むようになりました。90年代の中ごろは毎夏ロシアへ通って、数百冊の古本を買いあさりました。

そんなある夏のこと。サンクト・ペテルブルクの古本屋さんで、ソルジェニーツィンの選集を見つけました。日本円に換算すれば数千円。これは買いだ、と思ったそのときです。開襟シャツの中年のおじさんがレジの店主らしき男の人に話しかけるのが聞こえました。「あのソルジェニーツィンの選集はばら売りしないのか」「しないよ。全巻でないと売らない」「なぜだ。高すぎる。もっと安くならないのか」「だめだ」…こんな会話だったと思います。そのおじさんはしばらく店主とそんな会話を続けました。

この場面で、僕がその選集を全巻引っつかんでレジへ運び、お金を払って、さっさと店を出て行く、なんてことはさすがにできませんでした。このおじさん、よっぽどソルジェニーツィンが読みたいんだなあ、でも、その数千円というのは、このおじさんの月収の何分の一かに相当して、とても払えたもんじゃないんだなあ…と強い印象を受けました。それは、長い年月の果てにロシアの人々が手に入れた「言論の自由」というものの、ある側面だったのだ、と思います。

あのときは、僕も自重して、店内に他の客がいなくなったら買おう、と思ったのですが、なかなか人がいなくならず、あきらめて店を出ました。

当時はとにかく、国際コンクールで優勝したピアニストの演奏会を、日本円50円くらいで聴けた、という時代ですから、ロシアの本は安かったですね。でも裏を返せば、僕は金に飽かして、ロシア国民の大切な財産である古本を買いあさっていたわけで、品のない、はしたないことだったのかもしれないな、と思います。

夏になると、サンクト・ペテルブルクの、あのおじさんを思い出しますね。その後ソルジェニーツィンの本は買えるようになったんでしょうか。