俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ひきつづき小沼純一『発端は、中森明菜』

昨日に引き続いて小沼純一さんの『発端は、中森明菜』について。

きわめて興味深い一節があります。小沼さん、小学校高学年のころ友達と話していて「アメリカの歌謡曲」と口走ってしまい、「数人いた友人はいっせいに大笑いし、『アメリカに歌謡曲があるのかよ』と嘲られた」というのです。

この微妙さ、痛いほどわかります。とくに、この友人たちが「歌謡曲」を「フォーク」や「ロック」より一段劣ったものとみなし、音楽の先進国アメリカやイギリスにはそんなものはあるはずがない、と暗黙のうちに思い込んでいる様子。吉田拓郎井上陽水が歌謡番組に出演せず、それを真に受けた高校生のお兄さんたちが「紅白歌合戦なんか観ませんよ」とうそぶいているのがとてつもなくかっこよく見えた時代の話です。70年代の若者文化の空気ですね。

今となっては考えられないことのように思われるかもしれませんが、アメリカ黒人にはR&B(60年代はじめにはソウルミュージックともよばれるようになっていた)があり、かたや白人にはカントリー&ウエスタンという、これまた底なしにディープな音楽があり、それは必ずしも芸術的な創造性に裏打ちされた先進的音楽ではなく、突き詰めれば大衆的娯楽であり、要するに「歌謡曲」なのだ、ということは、日本の若者は十分には知っていなかったように思います。

ただ、注意していれば、音楽雑誌で、細野晴臣さんが「インドの歌謡曲」にハマッっている、なんて発言していたり、五木寛之さんが何かのレコード評で「歌はみーんな歌謡曲」と書いていたり、ということはありました。そして、近田春夫さんが『ポパイ』誌の連載やラジオの深夜放送で、プロの作詞家・作曲家が詞や曲を書き、専業の歌い手がそれを歌う歌謡曲が、いかに高度に洗練された芸術であるかを語り続けていました。現物がないので正確に引用できませんが、おしのびで来日していたジョン・レノンも、レコード店で演歌やムード歌謡の存在を知って、「これは日本のソウル・ミュージックだ」とどこかで発言していたのを記憶しています(どなたか覚えている方はいませんか)。

う~ん、この話題、いくら書いても、当時、「僕は歌謡曲が好きだ」と公言することの孤立感みたいなものは、正確に伝わらないような気もしてきました。ほんと、勇気が要ったんですよ。当時、チカハルの深夜放送を毎回聴いてるなんて言おうものなら、差別(はおおげさですが)されかねなかったですからね。

僕のことはどうでもいいとして、小沼さんの本の話に戻りますが、決してクラシックや現代音楽に造詣の深い音楽学者が、一段劣ったジャンルの歌手のことを「論じてやっている」、というつくりになってはいない、というところが優れている、と思いました。