俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

小沼純一『発端は、中森明菜』

いや~読みました。面白かった。

小沼純一『発端は、中森明菜 ひとつを選びつづける生き方』(実務教育出版、2008年)

読ませどころのいっぱいある本ですが、たとえば『十戒』を論じた次の一節なんざどうでしょう。

「『甘えてるわ 止めて冗談じゃない』『ちゃんとハッキリしてよこの辺で』全編引きたいところです。このようなセリフをたとえば、八〇年代から現在にかけて、いや、もっと限定して九〇年代前半あたりでいい、実際に面と向かって浴びせられた男性はけっして一人や二人ではないのではないでしょうか」。いやもう、ご指摘の通りですわ。詳しく書くと恥ずかしいですが、たしかにそんなことありました。

で、今でも中森明菜のベスト盤を聴き返すたびに思うんですが、この「十戒」という曲、オトコのファンなんかすでに眼中になくて、もうハッキリと、リスナーを同年代の女の子に絞っていたんじゃないのかなあ。小沼先生もご指摘の通り、オトコのリスナーは、出だしでいきなり「愚図ね」と手ひどく罵倒されるわけですから。

なんでそんなことを思うかというと、以前にも書きましたが、堀ちえみ「リボン」とどうしても聴き比べてしまうからなんですね。「男の人も泣くのね」と気づいて、泣いている彼氏を「ごめんね」と慰める堀ちえみのほうこそ、80年代の、軟弱で気の弱い男の子の理想だったんだと思ってしまうんですよね。

片や、「涙見せたがり」の男の子を「甘えてるわ やめて 冗談じゃない」とばっさり斬って捨てる「十戒」の明菜は、もうこりゃ同性にとっての理想像なんじゃないでしょうか。

この本のいいところは、小沼純一さんが、いつになく自分を語っているところです。音楽家を目指すも才能の不足に気づき文学に転向、一般企業に就職しても、書くことだけは続けたかった、と述べられています。この部分がいやみなく率直に書かれています。もちろん、フツーの会社員のかたわら、ライター業、やがて認められて大学で教鞭をとる、というのは、才能と実力があったればこそ。この本も、必要とあれば楽理にもどんどん踏み込んでゆく、奥行きのあるできばえです。

「間奏曲」としてキャンディーズ、バービーボーイズ、森高千里松原みき(!)についてもお書きになったようですが、本としてまとめるに当たって、森高千里の部分を除いてオミットされています。小沼さんが故・松原みきについてどんなことを書いているのか、これはぜひ、何らかの形で読みたいなあ…と強く思います。