俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

How Many いい顔

まったく個人的な感慨なのですが、郷ひろみは今ぐらいの季節ではなく、秋口に聴くといいという感じがします。忙しい夏の仕事が一つ一つ終わって、だんだん自分の時間ができてくる、そんな頃、夕暮れの街を車で走りぬけながら聴く音楽。

車に積みっぱなしにしているCDは二枚組のベスト『The Greatest Hits of Hiromi Go』。「男の子 女の子」に始まる一枚目のほうを繰り返し聴きました。野口五郎さんの記事のときにも書きましたが、子供時代は、もちろん「歌謡曲なんか!」と、こういう音楽を軽蔑していました。それが180度ひっくり返って歌謡曲の熱狂的マニアになるに至る経緯(などと自分で書くのも恥ずかしいですが)には、近田春夫平岡正明大瀧詠一といった音楽家や批評家さんたちのお仕事が深く関わっています。ただ、小学生や中学生の頃から、歌謡曲を聴いたときのなんともいいようのない恥ずかしいような心地よさというのはたしかにあって、それがなければ、こんなに歌謡曲にのめりこむこともなかったと思います。たとえば「裸のビーナス」(岩谷時子作詞・筒美京平作・編曲)におけるあからさまな裸体の礼賛。

青い海 波間には

うす紅の さんご礁

夏の光を浴びて 微笑む君こそは

可憐な 裸のビーナス

こんな露骨な歌にキャーキャー言ってたんだから、女の子たちってすごいよな、と改めて感慨深いです。いや、揶揄してるんじゃないんです。

曲が進むにつれて郷ひろみも少しずつ成熟していきます。このベストでは「花とみつばち」(1974年)のあとがいきなり「よろしく哀愁」(同じく1974年、あいだに「君は特別」が出ているはず)。安井かずみ筒美京平のコンビですが、森岡賢一郎の編曲がなんといっても功を奏しています。オリコンで初の一位。今、手元にはないんですが、かつて『ミュージック・マガジン』で北中正和さんが、このスマッシュ・ヒットが驚くべきことにあらゆる賞と無縁だったことを指摘していました。「もっと素直に僕の 愛を信じて欲しい 一緒に住みたいよ できるものならば」。「男の子 女の子」からたった数年で、この急激な成熟。この頃になると、女子学生や若いOLが身銭を切って聴く音楽がいかに大きな芸術的パワーを持っているか、子供だった僕にもだんだんわかってきます。今振り返ると、無冠に終わった「よろしく哀愁」こそ、70年代の歌謡曲の、ひとつの頂点であったことがわかるのです。

ベスト盤の一枚目の締めくくりは「How Many いい顔」(阿木耀子作詞・網倉一也作曲・荻田光雄編曲)。女性に養われているオトコが、パートナーの女性としての魅力の千変万化を「処女と少女と娼婦に淑女」と詠嘆してみせる、という曲。郷ひろみにこんなこと歌われると、女の人はひとたまりもないんだろうな。イントロが鳴るだけで、華奢で甘え上手なジゴロの世界。この曲が終わると、カーステレオは再び一曲目の「男の子 女の子」へ。で結局もう一回聴いてしまうのです。今日はこれを書くために車から持ってきましたが、秋になったらまたきっと車の中で聴いてしまうでしょうね。

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