俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

内藤やす子「思い出ぼろぼろ」

昨日、TVでJEROさんが「海雪」を歌っていました。悪くないですねえ。でも、一曲だけじゃ、まだわかんないぞ、なんて思いながら観てたら、宇崎竜童作曲なんですね。世間ではどう言われてるのかよく知らないんですが(秋元康の詞のコンセプトが強調されてるかもしれないですが)、竜童さん作曲でこの人の曲をもっと聴きたいな、と思いました。

先日も、枕元に散乱しているCDを整理していたら、内藤やす子のベスト盤が出てきました。これ、昨年の暮れに買ったのですが、買ったきり行方不明だったもの。なぜこれを買ったか、といえば…。

そもそも去年、iTunesStoreで「思いでぼろぼろ」を買ったんですね。そう、あの曲です。イントロのエレキギターとストリングスのユニゾン、そしてストリングスのピチカートが印象的な、根性入りまくりの一曲。ところが、あれ?ストリングスじゃなくてキーボードがあのフレーズを弾いてる。声は変わりない気もするんだが…ヴァージョンが違うぞこりゃ。

こうなると意地でもオリジナル録音を聴きたくなります。といったって、普通のベスト盤を買えばいいわけですが。

作詞・阿木耀子・作曲・宇崎竜童・編曲・馬飼野康二「思い出ぼろぼろ」

これです、これ。いいなあ。ヘッドホンで聴くといろいろ発見があります。アコースティックギターが中央でよく鳴って音をぶ厚くしています。またエレキピアノがいいアクセントをつけています。これが入るのと入らないとでは大違いでしょう。

これを聴きながらしみじみ思ったんですが、ブルーズ/R&Bの日本的解釈って、どうしたってどこかで演歌と重なり合うんですね。一ミリも重ならないとすれば、そのほうが不自然。「演歌」なるジャンル名がいつこんなに普通に定着するようになったか、という厄介な問題はおいといて、著名な歌謡曲の多くがタイトルの一部に「ブルース」を内包しているのは、まんざら伊達じゃないですよ。夏木マリさんのブルーズ・バンド以上に聴いてみたいのが内藤やす子さんのブルーズなのでした。

民放をいれたらまたJEROさんが大フィーチャーされてました。JEROさん6歳の「越後獅子」のヴィデオには泣けました。6歳の彼が「越後獅子」をいいなあ、と思ったときの情動のうずきの中にこそ、言語も国境も越えた音楽の魔法が潜んでいます。彼の「リンゴ追分」なんか、聴いてみたいというのは欲張りですかね。