俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

憧れのロック喫茶

これまで何回かジャズ喫茶の話を書きました。80年代だと、小都市にも割と先鋭的なジャズ喫茶がありました。今のジャズ・バーとかいうのとはやはりちょっと違うと思います。私語厳禁、大きなスピーカーから流れる沈鬱なフリージャズに耳を傾ける…とそこまで徹底はしていませんでしたが、それに近いものは十分に体験することができました。今考えると、60年代末~70年代に東京でそのような文化の洗礼を受けた若者たちが帰郷して、それぞれの街でそういう店を始めたのでしょう。

で、僕が体験できなかったのは「ロック喫茶」なのです。昨日はNHK-FMで一日中CharさんがDJをしていましたが、途中、「僕は渋谷で育ちましたからね。渋谷・道玄坂のロック喫茶で…」といった話になりました。ああ、ロック喫茶。昨日のCharさんの話によれば、ロック喫茶もまた、大学の講義室のように客がスピーカーに向って並び、大音量で再生される音楽をひたすら聴く、「コレいいね」なんて私語をすると、たちまち大学生のお兄さんから「しっ!」と制されるという雰囲気だったとか。LPレコード、とくに輸入盤って若い人がバンバン買えるようなものではありませんでしたからね。高校生の頃、『ニューミュージックマガジン』を買ってくると、後ろのほうのページの、輸入レコード店の広告を見るのが楽しみだったのですが、そこにいつも渋谷・道玄坂の某有名ロック喫茶の広告も載っていたような気がします。僕は結局東京の大学には行けずに、地方を転々としながら生きることになったのですが、ロック喫茶、行ってみたかったなあ。

ただ、そのころ、そういうロック喫茶がつくりあげた文化も、パンク/ニューウェイヴの台頭によって、足元から掘り崩されつつあるのだ、という思い込みがあったのも確かです。70年代末にザ・バンド『ラスト・ワルツ』でひとつの頂点に達したロック文化。それに対する強烈な「否」の声があちこちで上がり始めていたその頃の東京の様子も、雑誌などを通じて地方に少しは伝わってきていました。それを真に受けた僕らは、しだいに、もう古典的なロックなんて聴く必要ないやと思い込んでしまったのですが、ただ、そのころでも英国のトラッドやアメリカ南部のロックを地味に愛好している人たちってちゃんといたんですよね。なんだか、地方にいるとそういうのがわからなくて…今日はのんびりペンタングルでも聴きましょう。