大正八年四月、病気療養のために札幌に帰る菊地ゆきえに同行して吉屋信子は北海道へ渡った。二日がかりで着いた札幌からはひとりになった。さらに二十四時間かけて十勝の池田へ行った。そこには四人いる兄のうちの三番目、東京帝大農科を出た忠明がいた。忠…
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