戦後、大学生のぼくは北海道で貧乏弁護士をしていたおやじを二度訪ねた。室蘭と浦河である。室蘭行きのときは連絡船に乗るまえに、DDTで真っ白にされた。襟裳岬から帯広に回った二度目の帰りは大型船(興安丸?)で横浜まできた。おやじは晩年には網走に…
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